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もともと添乗員は男性だった! 修学旅行ほか「団体旅行」の知られざる歴史と進化

旅行は決して「不要不急」ではない

──2020年以降のコロナ禍では団体旅行に逆風が吹いていますが、今後、どんな展望があるでしょうか?

山本 お年を召した方や体が不自由な方など、個人では旅がしづらい方々にとっては、旅の手段としての団体旅行が、この先どんな時代になろうとも必要だろうと思っています。修学旅行に関しては、肉親など身近な人間以外とも時間と空間を共有する長期の旅行という点で、また、仕事や家計の事情でなかなか旅行ができない家庭のお子さんにとっても、人生の中で貴重な旅の体験です。ですから、団体旅行という形態は残っていくはずです。

 感染症対策として旅行に規制がかかるのは仕方ないのですが、私としては旅行が「不要不急」に分類されてしまったことを少し残念に思っています。伊勢参りが「抜け参り」として許容されるほどに社会において価値を認められ、その旅は共同体において重要な通過儀礼でもあったことを思い出してください。

 もちろん、今の旅行は基本的には消費文化であり、娯楽に特化している面があります。しかし江戸時代まで、旅は季節の移ろいとリンクし、また、人生の節目ごとの重大な行事として存在していました。例えば、春先に近くの山に登って花を愛でたり、海辺に行って潮干狩りを楽しんだり、自然界そのものを大きな生命体ととらえ、その自然界のリズムと人間の生活とを重ね合わせながら、旅という非日常の時間を通じて人々は気力・体力を充実させてきました。ハレとケとケガレというリズムを繰り返しながら人間は生きており、旅は節目ごとに日常をリセットし、リフレッシュする――生命力を更新・再生する役割を担っています。それが、人が旅を必要とする理由です。

 ですから、旅の本来の意味に立ち返れば決して「不要不急」ではありません。コロナ禍が続く中で精神的にも肉体的にも圧迫されている今こそ、旅は必要なのだと言いたいですね。なにも、お金をかけて遠くへ行くことばかりが旅ではありません。日常を少し離れるだけのささやかな旅であっても、ほかに代えがたい価値がそこにはきっとあるはずです。

 

山本志乃(やまもと・しの)

1965年鳥取県生まれ。神奈川大学国際日本学部歴史民俗学科教授。博士(文学)。民俗学専攻。定期市や行商に携わる人たちの生活誌、庶民の信仰の旅、女性の旅などについて調査研究を行っている。著書に『女の旅 幕末維新から明治期の11人』(中公新書)、『行商列車 〈カンカン部隊〉を追いかけて』『「市」に立つ 定期市の民俗誌』(共に創元社)などがある。

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

いいだいちし

最終更新:2021/11/27 13:00
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