遅咲きながらも成功者が求めたヒップホップという表現方法【田中雄士】
#インタビュー #HIPHOP #田中雄士
──キックボクシングで世界を制覇し、実業家としても成功を収める男が次に着手したビジネスは“ヒップホップ・シンガー”というスタイルだった(「月刊サイゾー」2021年10・11月号 特集より)。
今年7月にEP『遅咲きのヒーロー』でメジャーデビューを果たした田中雄士。アーティストとしてはまだまだ新人であるが、某有名チームの元リーダーとしてアウトロー界では知られた存在であり、キックボクシングの世界チャンピオン獲得、スポーツジムや飲食店、不動産事業など複数の会社を経営するビジネスマンという顔も持つ。高級腕時計を身にまといラグジュアリーカーを乗り回し、はたから見れば人生の成功者である彼が、40代を迎えてアーティストとしての道を選んだその理由は──。
「己の強さを証明するために、30代でキックボクシングのチャンピオンを目指しました。実際に王座を獲得してリスペクトは得られたけど、世間に対する影響力を考えると、こんなものなのかなと。カニエ・ウェストやジェイ・Zのような国全体に影響を与えるほどの発言力を持つアーティストを見ていて、やっぱりかっこいいし、彼らみたいな影響力が欲しいなって思ったんです」
もともと歌がうまく、目立つことも好きであったという。付き合いのあった雑誌編集長の助言にも後押しされ、アーティストとしての一歩を踏み出す。
「自分の経営しているキックボクシングジムに来ていた(シンガー・ソングライターの)CIMBAに話したら、『俺、曲作りますよ』って言ってくれたんです。そこで最初に自己紹介みたいな歌を作ろうって」
17年にインディでリリースされたデビュー作「遅咲きのヒーロー」には、30代でキックボクシングの世界チャンプになり、40過ぎにアーティストデビューした自身の姿を重ねる。
「CIMBAから『雄士さんは遅咲きのヒーローなんですよね』って言われて。ただ、この歌で言ってるのは、これから咲くぞっていう意味での遅咲きのヒーローなんです(笑)。人生まだまだ続くし、俺もがんばってるからって、みんなに勇気を与えられればと思っています」
セールス的には期待していた結果は残せなかったものの、「ハートの強さでは負けない」という彼は、HOKTとの「断捨離」、AK-69との「BLACK CARD」とリリースを重ねる。
「AKが『本気でやるんで、雄士くんも本気でやってください』って言ってくれたんです。そこで曲のテーマを考えたときに、互いの共通項がヒップホップをやっていて金に不自由していない、2人ともセンチュリオン(=アメックスのブラックカード)を所持していたので、『これは俺らしか歌えないだろう』って感じで落ち着きました」
すでにリリースされた2曲に新曲3曲が追加された初EP『遅咲きのヒーロー』。ここまでのストーリーや共演者の顔ぶれを見て、野太い声のストロングスタイルなラップをイメージしている人も少なくないだろうが、彼の声を聞けば、その予想は良い意味で裏切られる。
「CIMBAとカラオケに行ったときに、『めちゃめちゃシンガーじゃないですか!』って驚かれたんですよ。昔から歌を歌うのが好きだし、歌いながらラップもたまにやったりしていたので、ヒップホップシンガーとしてやったほうがいいんじゃないかな、って思うようになったんです」
今回のEPに関しては「実感を掴みきれていない部分もあります」と、素直に今の気持ちを語りながら、アーティストとしての未来をしっかり見据える。
「アーティストとして知られるように、できるだけのことはやりたい。この年で無駄な失敗をしたいわけじゃないけど、普通の同世代の人と同じようにやってたら何も生まれない。だからイケイケでありつつ、慎重にやらなきゃダメかなって考えてます。そこで初めて、アーティスト・田中雄士としてのリスペクトを手にしたいですね」
(文/大前 至)
(写真/cherry chill will.)
●田中雄士(たなか・ゆうじ)
24歳でキックボクシングのプロライセンスを取得するも、王座を獲得する前にドロップアウト。32歳で再びプロデビューを果たし、35歳で初の王座を獲得する。その後、都心部を中心に展開するキックボクシングのジム「レンジャージム」や飲食店の経営などを軌道に乗せ、17年に「遅咲きのヒーロー」でヒップホップ・シンガーとしてデビューを飾る。 Twitter〈@y_t_official〉 Instagram〈@yuji.5274〉
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