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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 森田芳光監督『それから』

松田優作と藤谷美和子が指1つ触れず甘美な関係を魅せる森田芳光監督『それから』

かつての想い人たちが、指一本触れずに性を表現する快作

〈あらすじ〉
 裕福な家庭で育ち、定職に就かず実家からのお金で気ままに生活を送る長井代助(松田優作)は、友人平岡常次郎(小林薫)の妻・三千代(藤谷美和子)への恋心を忘れられないまま、未だに結婚できずにいる。ある日3年ぶりに再会した代助と三千代は再び惹かれあって……。

 主人公代助を演じる松田優作さんの芝居の柔らかさには、毎回驚かされます。今回の作品でも感情の起伏は滅多にないですが、静かに心を燃やす代助の揺れ幅を、繊細に表しています。『家族ゲーム』でも感じましたが、松田優作さんって心に他人を受け入れる余白をお持ちの方。どんな芝居の相手でも、それを受け入れる包容力を感じるんです。

 ヒロイン三千夜代を演じる藤谷美和子さんは、心の奥底に情熱を秘めているような容姿、黒くて大きくて真っ直ぐな瞳はまさに三千代そのもの。控えめでおっとりしていますが、花瓶の水をコップですくい飲んでしまうという非常に衝撃的なシーンもあり、そういう大胆さもある肝の据わった女性像。純粋さと、男性を翻弄する危うさも両方持ち合わせています。

 この2人、かつてお互いに惹かれ合っていましたが、気持ちを伝えられぬまま、三千代は代助の友人常次郎と結婚してしまいます。3年の年月が経過し、ある時仕事を辞めたという常次郎と三千代が東京に戻り再会した3人ですが現在、三千代が幸せではない生活を送っていることを知った代助。三千代を心配し頻繁に足を運ぶようになる代助と、そんな代助を頼り、心の内を明かしていく三千代。そのまま2人は、歯止めが効かない方向へと進んでいくのです。

 そう、今作は所謂不倫の物語。今でこそ、この時代より不倫・略奪愛といったテーマの作品は数多くありますが、しかし、それらとの大きな違いがひとつ。肉体的触れ合いの描写が一切ないのです。これが、原作者・夏目漱石の凄みを感じるところ! 原作に沿い、この映画の中でも性的描写は一切ないどころか、指先一本たりとも触れ合うことがありません。それなのに、映画全体として甘美でエロティックな雰囲気が保たれています。

 接触がないのに、この甘い空間を作り出しているものは何か。それは、いつ2人が触れ合うかという視聴者の緊張感が、終始維持されるからではないかと思います。触れそうで触れない、もしかしたら次触れるかもしれない……この歯痒さがラストシーンまで続く。あぁ、なんと焦れったい!森田監督の手のひらでコロコロと転がされているような気分。こういったテーマを扱いながら、相手との接触がない演出の作品、そしてこのような焦らし方で視聴者を惹きつける作品はほかにないと思います。

 桜の咲く季節に降る雨の中、代助がさす1本の黒い傘のもとに白い百合を抱えた三千代が入り、百合の花を見つめる2人の回想場面が、最も2人の距離が近く感じる場面なのですが、立ち込める2人だけの甘美な空間に胸が疼きます。原作の小説でも充分、焦ったさを感じますが、映像として視覚で分かるからこそより一層効果的に楽しめる演出。

 そしてもうひとつ、2人の空間作りの役割を担っているのが〝真っ白な百合の花〟。2人きりの場面に3度用いられますが、2人のシーンには雨が多く、その湿度感の影響もあってか、百合の花の香りが沸き立つようなイメージが想起されるのです。香りまで感じさせるなんて、なんと色っぽい演出。

 白い百合の花言葉は〝純潔〟とされていて、キリスト教絵画の『受知告知』でマリアの処女性を表す等、西洋絵画のモチーフとしても使用されていますが、初期には〝天国の花〟として、生命や光の象徴という意味もあったそう。3度登場する白い百合の花。私は3つの場面で、意味合いが異なっているのではないかと思うのです。

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