【澤田晃宏/外国人まかせ】技能実習生の「変形労働制」を認可――過酷でも稼げる牡蠣とホタテの養殖
#外国人まかせ
繁忙期・閑散期で差が 激しい労働時間と給与
技能実習の中でも、季節ごとに作業量が変化する漁業、農業では「変形労働制」が認められている。労働時間を月単位・年単位で設定できるため、繁忙期は1日10時間、閑散期は1日6時間といった調整が可能になる。漁業、農業は技能実習の他職種とは違い、労働基準法のうち、労働時間・休日・休憩時間については適用除外になっている。
また、海上の作業となる漁業では労働者保護をより厳格にする観点から、実習生の受け入れ方法が他業種とは異なる。
現在、漁業関係職種では2職種10作業が認められている。実習生は一般的に監理団体を通じて受け入れられているが、漁船漁業職種(いか釣り漁業など8作業)は漁業組合を通じた受け入れしか認められていない。監理団体を通じて受け入れが可能なのは、牡蠣(まがきのみ)、ホタテ養殖の2作業のみだ。技能実習計画の認定にあたっては、実習生の待遇を労働組合(現在、全日本海員組合など9団体)と協議し、水産庁が運営する漁業技能実習事業協議会から証明書の交付を受 ける必要がある。
それでも、受け入れ事業者の過半は家族経営などの小規模事業者で、労働者保護が徹底されているわけではない。
ベトナム出身のグィン・タイン・トゥエンさん(28歳)は、牡蠣養殖の実習生として15年10月に来日。出身地は北部の ハイズオン省で、海はなく、両親は農業を営む。トゥエンさんは「牡蠣は日本に来て初めて見た」と話し、続ける。
「短大で電気工学を学び、製造業の技能実習生として日本に行きたかったのですが、溶接、機械加工の面接に落ち、『仕事はなんでもいいから』と送り出し機関に頼んで紹介されたのが牡蠣の養殖の仕事でした」
受け入れ先は、広島県呉市内の牡蠣業者。来日後の入国後講習を終え、同じ日に来日した別のベトナム人実習生3人と、11 月から収穫した牡蠣の掃除と牡蠣打ちの作業をした。すでに収穫の繁忙期で、12月は休みがなかった。作業は朝の4時半から夜の8時前まで続くこともあった。それでも、12月の手取りは20万円程度だったという。トゥエンさんは、
「残業代はちゃんと支払われない上、作業中は会話することも許されず、少しのミスでも『ベトナムに帰れ』などと毎日怒鳴られた。同じ日に働き始めたひとりは、3カ月もたたない間に失踪しました。寮にはインターネットがなく、家族と連絡が取れない。監理団体を通じてお願いをしても、通信環境を準備してくれることはありませんでした」
繁忙期は手取り給与が17万円程度あったが、閑散期に入ると手取りは1桁に。8月は4万円だった。仕事が慣れない間は仕方がないと自分を納得させたが、いくら頑張っても評価されない。
「私は人間、モノではない」
トゥエンさんは当時をそう振り返る。寮の通信環境の整備にさえ動いてくれない監理団体を通じた問題解決を諦め、技能実習制度のサポートをする財団法人「国際研修協力機構」に電話した。同機構の支援を受け、トゥエンさんは同じ呉市内の牡蠣業者に「転籍」。実習生に転職の自由は認められていないが、同じ業種の実習先への転籍は認められている。
トゥエンさんの新たな受け入れ先は、社長も優しく、大変な牡蠣打ち作業もほかの実習生と無駄話をしながら、楽しい雰囲気で仕事ができた。残業が少なく、手取りは多いときで15万円程度に下がったが、満足だった。
3年間の技能実習を終え、トゥエンさんは18年11月に帰国。約半年間、ベトナムの日系企業で働くが、19年10月に再び牡蠣養殖の実習生として来日した。
「日系企業はベトナムの会社より給料は高いですが、それでも4万円程度。また、日本で働きたいと思った」
トゥエンさんは以前いた実習先に技能実習3号(4~5年目)として戻り、今年1月には外食業の特定技能の試験を受けた。11月からは中部地方の飲食店で働くことが決まっている。特定技能として牡蠣養殖の仕事を続ける道もあったが、
「日本に来て一番驚いたのは、どんな安い料理店に入っても清潔で、接客も丁寧。もともと料理を作るのが好きで、日本の飲食店の経営を学んで、いつかはベトナムで飲食店を開きたい」
トゥエンさんに、「なぜ、日本の若者が牡蠣養殖の仕事をしないのか」と尋ねると、少し間を置き、こう答えた。
「きつい、汚い、危険、だからかな」
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