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人生につまずいたときに優しく迎えてくれる中目黒の王道かた焼きそば 

人生につまずいたときに優しく迎えてくれる中目黒の王道かた焼きそば の画像1
(以下、写真/小嶋真理)

 シュプリームのコレクションに楽曲を提供し、海外の有名音楽フェスに出演するなど、国内外で評価されてきた“エクストリーム・ミュージシャン”のMARUOSA。他方で“かた焼きそば研究家”としての顔も持ち、近年は『マツコの知らない世界』(TBS)や『新・日本男児と中居』(日本テレビ)、『たけしのニッポンのミカタ!』(テレビ東京系)といった地上波のテレビ番組にしばしば登場して注目を集めている。そんな彼が、驚愕の絶品・珍品に光を当てながら、かた焼きそばの奥深き哲学に迫る!

 初心忘るべからず。

 幸いにも音楽家として、また、かた焼きそば研究家として日々を生きているのだが、歳を重ねれば重ねるほど、この言葉が身に沁みる。

 先日、41歳の誕生日を迎えたので、改めてかた焼きそばの初心に立ち返ろうと思う。

 ちなみに、生まれて初めてのかた焼きそば体験は、故郷・大阪のJR桃谷駅高架下。現在はいわゆる“駅ナカ”の商業施設に様変わりしているが、かつては“ザ・ガード下”の猥雑な飲食店街だった。そのうちの一軒、たしか「道楽」という名前の中華料理屋だったと記憶している。もちろん今は影も形もない。

 月日は過ぎ、本格的にかた焼きそば道を歩もうと決意したのは30代初めの頃。

 私生活でいろいろとあり、心機一転とばかりに目黒区祐天寺に引っ越したものの、音楽活動も行き詰まって孤独と限界を感じていた暗黒期。近所に住んでいた当時の友人と小さな公園で夜な夜な話を聞いてもらうのが唯一の救いだった。

 ある日、たまたま2人とも日中に時間ができたので、中目黒の商店街をブラブラと歩いていた。ちょうどお昼時だったので、ふと視界に入った中華料理屋へ入ることにした。

人生につまずいたときに優しく迎えてくれる中目黒の王道かた焼きそば の画像2
中目黒の商店街で目に入った中華料理屋。

 TBSドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の舞台となった中華料理屋と同じ屋号、その名も「幸楽」。後から知ることになるのだが、このお店もかつては中目黒駅のガード下に店舗を構えていたそうだ。その後、再開発により現在の場所に移転したとのこと。今思えば何か運命を感じずにはいられないが、あの頃は心にそんな余裕もなく、ただ美味しいものを食べて少しでも気を晴らしたかった。 具体的に食べたいものが決まっておらず、無意識にメニューをパラパラとめくると、ある一点にギュッとピントが合った。

 かた焼きそばである。

「そういえば昔よく食べてたな」と祖父の事を思い出した。

 祖父はかつて小さなネジ工場を営んでおり、幼稚園児だった私はときどき手伝いに行っていた。これだけ聞くと「なんておじいちゃん孝行の孫なのか」と思うかもしれないが、ただ、ボルトやナットがオモチャみたいだったので触りたくて仕方がなかっただけだった。それでも祖父は喜んで私に作業をさせてくれた。

 また、祖父は大変な食道楽だった。

 美味しい店があれば、遠かろうがわざわざ出向いて通い続けた。

 祖父が亡くなった後も、私たち家族があの祖父の身内だということを覚えてくれており、サービスしてくれたお店が数多くあった。

 そんな祖父が、作業を手伝った日に必ず連れて行ってくれるお店、それが冒頭で紹介した「道楽」である。

「ここのフライ麺が美味いんや」(註:関西では、かた焼きそばを“フライ麺”という名で提供している店が多い)

 あの祖父が言うなら、と思って注文したら、これが大当たり。以来、毎回フライ麺を食べる幼稚園児としてお店に認識された。

 あれから二十数年、祖父もこの世にはいない。弔いの意味を込めて久しぶりに食べてみよう。

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幸楽のかた焼きそば。オーソドックスな見た目だが……。

 記憶の中のフライ麺とはさすがに見た目は異なるが、なぜだか懐かしい。あの頃の記憶がフラッシュバックするようだ。

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祖父との記憶がよみがえる一品である。

 一口、頬張り噛み締めてみると、さまざまな感情がぐるぐると脳内を駆け巡った。

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