菅直人と長島昭久が激しく争う“東京18区最終戦争”旧民主同士の因縁の師弟対決
#衆院選
刺客として送り込まれたかつての愛弟子
状況は一変し、今の菅は他の候補の応援に行く余裕はなく、地元で新人候補さながらの地べたを這うようなドブ板選挙を展開している。そして、今回はかつての民主党の同僚議員だった長島昭久との一騎打ちを強いられている。
長島は立川市を中心とする東京21区で2003年以来、当選を重ねてきたが、石原伸晃の秘書だった長島を民主党に温かく迎え入れ、長島にとり馴染みのない21区で初期の地盤作りを手伝ったのは菅と夫人の伸子だった。伸子夫人が長島を連れ、21区の有権者に紹介して挨拶回りしたのは地元では有名な話だ。しかし、今回の国替えに際し、長島からは伸子に対して一言の挨拶もなかったという。
長島にとり、菅と夫人の信子は民主党時代に衆議院議員、長島昭久を誕生させてくれた恩人。長島も国替えを告げられた時は「天を仰いだ」というが、東京に25ある小選挙区はほとんどを自民党現職が占める。
05年の小泉純一郎の郵政選挙から2017年の前回選挙まで5回にわたり繰り広げられた菅と元武蔵野市長の土屋正忠の「土菅(どかん)戦争」は17年の土屋の敗北(土屋は75歳で比例には重複立候補せず)で幕を閉じ、その後継者に長島は期待され、今回の国替えとなった。
長島には長島の事情もあろう。長島は民主党、民進党、希望の党などを経て2019年に自民党入りした時、支持者らに英国で保守党から自由党に移り、再び保守党に戻り首相となり、第二次世界大戦の対独戦を勝利に導いたウィンストン・チャーチルを引き合いに出し、有権者の理解を求めたという。日本の国家安全保障を真剣に考える長島に、共産党との連携に舵を切った旧民進党での居場所はなかった。自民党入りも自らの政策を実現するための選択だったと考えれば理解できる。今回の国替えも自ら望んだ訳でなく、自民党上層部の指示だから、長島の「平然と(選挙区を)捨てたわけではなく、断腸の思いで返上した」との言葉に嘘はないだろう。
とうの昔に消え去った二大政党制の夢
今回の東京18区の骨肉を争う選挙戦は、民主党が政権崩壊後に瓦解したために起こった悲劇としか言いようがない。しかし、菅と長島のどちらが勝っても動かせない歴然とした事実だけは残る。それは日本から政権交代が可能な二大政党制を育む芽がとうの昔に潰えてしまったということだ。
立憲民主党を始めとする野党は一定数の議席を維持し、これからも日本の政治に存在し続けるだろう。だが、それは政権交代を望めない、自らも望まない55年体制下の旧社会党のような批判勢力としてだけの存在だ。
これ見よがしの野党はあっても、政権交代が永遠に望めないシンガポールのような国になりつつある日本。かつて、自民党に対抗しうる、二大政党の一翼を担うことを期待され誕生した民主党という政党に、菅と長島もいたという事も遠い昔の話のように思えてくる。
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