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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 元芸人が考える「痛みを伴う笑い」とは

「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティ」とは何か? 元芸人が真剣に考えた

どつきツッコミがなければお笑いは成立しない?

 つっこまれたまなぶ君の顔を思い出して欲しい。どのような表情をしているのか。叩かれた痛みで顔を歪ませているだろうか? それともあまりの痛みに意識が飛びそうになっているか?

 正解は「何事も無かったかのように話を進めようとしている」だ。

 つまりまなぶ君は、つっこみに対し痛みを感じていないのだ。となればカミナリのネタ自体、”痛みを伴う笑い”には当てはまらない。仮にボケが痛みを感じていないとしても、叩く行為自体が”痛みを伴う笑い”だとすれば、漫才師のほとんどはテレビでネタをすることは出来なくなるだろう。なぜなら多かれ少なかれツッコミはボケを叩くからだ。頭や肩、もしくはほっぺたをひっぱたいたり、遠くから助走してドロップキックをするコンビもいる。

 ではぺこぱのように相手に共感し、一切手をあげない芸人がみんな活躍するのかと言えばそうではない。ぺこぱが注目されたのはツッコミをする漫才師が大半の中であえて、ツッコミをしないからであって、世間が突っ込まない漫才師で溢れかえればぺこぱのような漫才師にとって死活問題となるのは間違いない。どちらにしても、漫才師の生きる道はなくなるということだ。

 ではコント芸人ならば大丈夫かというとそうではない。一見”痛みを伴わない笑い”に見えるが、ほとんどのコント師は”心の痛み”を使って笑いを取っている。

 ピンとこない人も多いと思うので、先日行われた「キングオブコント2021」で個人的に一番面白かった、ザ・マミィの1本目のネタを例に挙げて分析してみよう。

 駅前でうろつくおじさんと道を尋ねる青年のネタだ。ネタ中「お前らが俺を避けてんじゃねぇぞぉ! 俺がお前らを避けてんだよぉ!」というおじさんのセリフがある。なんて悲痛な叫びだろう。まさに悲しい痛みを伴う笑いである。

 ほかにも何の躊躇もなく自分に話しかける青年に「え? 偏見とか無いの?」というセリフやネ、タの後半ではこのおじさんが青年に「ありがとう」という言葉を投げかけられ、それに対して「今ありがとうって言ったか? こんな俺に感謝したのか?」というセリフからもわかるが、このおじさんは周りからの偏見に晒され、感謝されることもない人生だったのだ。なんと”心が痛い物語”なのだろう。これぞまさに”痛みを伴う笑い”だ。

 チャンピオンになった空気階段も、SMクラブという場所で火事に合うというネタ。一人は名前を隠してプレイを愉しんでいるという設定がネタの途中で出てくるが、名前を隠すという事はどこか後ろめたい気持ちがあり、やはり心のどこかで自分の性的思考は普通ではないと悩んだ結果なのだろう。こちらもどこか”心の痛みを伴う笑い”がチラつく。

 ほかのコントも分析すればどこかしらに痛みは出てくる。つまりコントも漫才も”痛みを伴う笑い”という事になるのだ。

 さらにコントというのは、キャラクターになり切るという性質を持っている。そのなり切ったキャラクターに似ている子供がいたとしたら、一部視聴者の言う「いじめを助長」してしまう可能性も無いとは言いきれない。

 これを踏まえるとテレビでは、漫才もコントもやってはいけないという事になる。

 では『ガキの使いやあらへんで! 絶対に笑ってはいけないシリーズ』に話を戻そう。

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