白鵬の引退で 入門時体重62キロだった“奇跡”の横綱ロードに注目―初土俵で負け越し号泣…
#白鵬
大相撲の第69代横綱・白鵬が秋場所後に引退を発表。優勝45回、通算1187勝という前人未到の大記録は、まさに「大横綱」と呼ぶにふさわしい成績だろう。
引退後は年寄「間垣」襲名。しかし、これまでの言動が問題視され、日本相撲協会の規則を守るなどの誓約書にサインするという異例の条件が付いたことも、白鵬の存在感を際立たせることとなった。
「強すぎた横綱」として、相撲ファンからはヒール役として見られることもあった白鵬だが、その相撲人生は決して順風満帆ではなかった。いや、そもそも大相撲の世界に入れたこと自体が奇跡だったという。
「宮城野部屋入りする前の白鵬は相撲部がある物流会社『摂津倉庫』に身を置き、相撲部屋からのスカウトを待っていた。父親はモンゴル相撲の大横綱でしたが当時、白鵬の体型は身長176センチにして体重はわずか62キロしかなかった。白鵬自身、『私が親方で弟子をスカウトしてたとしても、身長が足りてるとはいえ、体重62キロだと取らないですね。断ります』と語っていたほどです。案の定、どの部屋にも相手されず、モンゴルへ帰国する寸前でした。それを見かねた旭鷲山のツテで宮城野部屋の人間が帰国前日に視察に訪れ、なんとか入門することができた。この時、宮城野親方が直接本人に会っていたら選ばれなかっただろうと、白鵬本人も回顧しています。新弟子検査までに最低13キロの増量が必要でしたが、宮城野親方は稽古をさせると50キロ台に落ちると予測。ひたすら食べることだけに集中させ、毎食つみれ入りちゃんこ鍋に山盛りのどんぶり飯4杯、牛乳1リットル、バニラ味のプロテインがノルマになったそう」(週刊誌ライター)
すでに高校や大学で実績を積んだ巨漢ではなく、ガリガリ体型の15歳を突然預かった宮城野親方の才能を見抜く力には驚かされるばかりだ。
そして晴れて新弟子検査に一発合格し、プロ入り。あの四股名が決まる。
「スケールの大きさを重視したことから、昭和の名横綱である柏戸と大鵬から『柏鵬』が候補に。しかし、相撲協会からの許可が得られないことが懸念され、当時の感覚で肌が白かったことから『白鵬』となりました」(前出・週刊誌ライター)
肌の色をもって名前をつける感覚自体は現代においては問題になりそうだが、未来の大横綱はこのように、けして順風満帆とはいえない経緯で産声を上げた。
さらにその記念すべき初土俵はどうだったかというと――。
「黒星スタートとなりました。初勝利は2番相撲。のちに“伝家の宝刀”と呼ばれた上手投げが決まり手となっています。しかし、この場所は3勝4敗と負け越し。国技館から部屋に帰るまでずっと泣き続けていたといいます」(前出・スポーツライター)
白鵬が引退したことでこうした、その偉大な足跡にも注目が集まっている。
とりわけ細部の細部まで描かれているのが、先日1巻が発売された自伝マンガ『白鵬本紀』(徳間書店)。詳しすぎるのもそのはず、白鵬本人が監修。しかも、過去の話だけでなく、現在の白鵬と同時進行という珍しいスタイル。来月には2巻も発売となるようだが、すでに相撲ファンの間では大反響となっている。『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に“相撲大好き芸人”として出演したい面々などは必読の書となりそうだ。
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