香淳皇后の姪、家族の反対の中一般サラリーマンと結婚 のちに離婚・再婚を経ての幸せな生活
#皇室 #小室圭
眞子内親王と小室圭さんは、いよいよ結婚へと進まれるようだ。小室さんの母親の金銭問題がなかなか解決されないなかでの結婚は、大きく言えば皇室全体へのバッシングになりかねない問題を孕んでいるために、私はせめてその問題を解決してからご結婚されるのが筋ではないかと主張してきた。
しかも、宮内庁は眞子内親王が複雑性PTSD(複雑性心的外傷ストレス障害)である事を公表した。婚約発表から約4年、ご自身や小室さんへの批判がそうした心の病を招いたとする見解もある。
たしかに結婚を巡ってはこれまで、多くの報道がなされてきた。今回のご結婚を「駆け落ち婚」と呼ぶ人もいる。
歴史を見ていくと、皇族の中で駆け落ち婚をした人としては、久邇宮通子(1933~)さんの事例がある。久邇宮家は旧宮家だ。昭和天皇の皇后・香淳皇后の兄が久邇宮朝融王(1901~1959)。朝融王の三女が通子さんである。
通子さんは、習院短大を卒業後、学習院英文科の聴講生となるが、そこで男子学生と出会い、恋に落ちるのだ。週に2回、大学に通っている中で、教室で知り合った男子学生と交際が始まったのである。その男子学生の父親は、一般のサラリーマンであった。
この恋に、通子さんの家族は大反対した。家族で、味方してくれたのは、妹たった1人だったという。佳子内親王も、姉の眞子内親王を応援するお言葉を寄せられていた事を思い出させる。
結婚の許しが出ないまま、月日が経過は経過。事態が変化するのは悲しい事に、父の朝融王が危篤状態になった時だった。父はついに娘の結婚を認める言葉を発したのだ。しかし今後、家の敷居を跨がないこと、ほかの皇族との交際を認めないという、厳しい条件が付いていた。
通子さんは父から「家名を汚した。二度と戻ってくるな」「連絡もしない。手紙も送ってくるな」と言われたようなものだ。それでも通子さんは、男性と結婚。交際から約6年が経過していた。
新居は、東京の二部屋しかないアパート。通子さんは、以前からしていたタイピストの仕事をしつつ、炊事や洗濯を楽しんでやったという。ところが、2人は4年ほどで離婚してしまう。「恨みあって別れたのではない」というが、その原因は、夫が猛烈社員になってしまい家庭を顧みなくなってしまった事にあるようだ。
通子さんは32歳の時に、6歳年下の男性と再婚。今も幸せに暮らしている。
通子さんは「人間の幸福が金や権力だけにあるのなら、上流階級の人たちはみな幸福いっぱいのはずですが、現実はむしろ逆。私は贅沢したいと思わないから、夫と2人の平和で精神的にも満ちたりた生活は、最高に幸福です。心から満足しています」(河原敏明『昭和の皇室をゆるがせた女性たち』講談社)との言葉も。
人生山あり谷あり。良い事もあれば悪い事もある。それは皇族でも、一般人でもそうだ。
そして仮に失敗してもそれを成功に変えることもできるし、修復できる。通子さんの人生は元皇族という立場からそれを象徴・証明しているように思う。
その生涯や言葉から眞子内親王が参考にできる事もあるのではないか。何はともあれ、眞子内親王と小室圭さんの幸せを祈りたい。
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