ガラパゴス化した“もうひとつの日本”の実話! 南洋の孤島で戦い続けた最後の日本兵『ONODA』
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閉ざされた環境が生み出した「エコーチェンバー現象」
日本政府が派遣した大規模な捜索隊が探し出せなかった小野田に、鈴木青年はあっさり遭遇する。島でのテント生活を始めた鈴木青年に、ジャングルに隠れていた小野田は興味を抱き、銃を持ち構えながら近づいた。「小野田さんですか?」と鈴木青年は呼び掛け、持っていたタバコを勧めた。敵ではないかと疑っていた小野田だが、鈴木青年の全身に漂う邪気のなさを感じ、勧められたタバコを受け取る。鈴木青年の笑顔が、懐疑心の強かった小野田の心を開かせた。
ジャングルでの30年に及ぶ生活を追ったこの映画には、さまざまなメタファーが潜んでいる。アラリ監督は市川崑監督の戦争映画『野火』(59)や同調圧力の恐ろしさを描いた若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)などから影響を受けていることを明かしている。また、アラリ監督はジョセフ・コンラッド(『地獄の黙示録』の原作者)やロバート・ルイス・スティーヴンソンなどの冒険小説が好きらしい。小野田がルバング島に潜み続けたのは、山下奉文将軍の隠し財宝を守るためだったという都市伝説もある。スティーヴンソンの『宝島』のような話だが、実際に今もフィリピンで財宝探しを続けている日本人やフィリピン人たちがいる。
小野田たちが小さな島で戦い続ける様子は、ポツダム宣言を受け入れずにガラパゴス化した“もうひとつの日本”でもある。食料は限られ、捜索隊が残したラジオが唯一の娯楽という質素な生活だが、日本兵として祖国を守り抜くという頑強な信念が、彼らを支えた。だが、信念を貫くあまり、時代の流れから取り残されてしまう。閉ざされた環境にいた彼らは、一種の「エコーチェンバー現象」に陥っていたとも言えるだろう。平和な社会に顔をそむけ、ひとりぼっちになっても戦い続ける小野田の姿は、シルベスター・スタローン主演映画『ランボー』(82)のようだ。津田寛治がランボー、イッセー尾形がトラウトマン大佐に思えてくる。
鈴木青年と小野田は親子ほど年齢が離れていたが、すぐに懇意になる。鈴木青年は一見すると平穏だが、学歴や資産が一生を決めてしまう戦後日本の風潮になじめず、大学を中退して世界各地を放浪していた。鈴木青年の目には、孤独な戦いを続ける小野田が魅力的な人物に映った。鈴木青年が島に渡っていなければ、小野田の日本への生還もなかったに違いない。
映画は小野田がルバング島に別れを告げるシーンでエンディングを迎えるが、小野田は「最後の日本兵」として1974年3月12日に帰還し、日本中が大騒ぎとなる。30年ぶりに帰国した小野田が見たものは、平和であることが当たり前となり、すべてはお金が物を言う高度経済成長を遂げた日本社会だった。小野田のことを「軍国時代の亡霊」と中傷する声もあった。
日本には自分の居場所がないことを悟った小野田は、半年後にはブラジルへと渡り、未開地を開墾しての牧場経営を始める。一方、脚光を浴びた鈴木青年は雪男の捜索というもうひとつの夢を実現するためにヒマラヤへと向かい、1986年に遭難死を遂げている。小野田元少尉も鈴木青年も、戦後の日本が失ったものを追い求め、それぞれ自分の戦いを貫いた。終戦記念日は必ずしも8月15日ではない。今の日本にも、孤立無援状態でサバイバル生活を余儀なくされている人たちは少なくない。
『ONODA 一万夜を越えて』
監督/アルチュール・アラリ 脚本/アルチュール・アラリ、ヴァンサン・ポワミロ
出演/遠藤雄弥、津田寛治、仲野太賀、松浦祐也、千葉哲也、カトウシンスケ、井之脇海、足立智充、吉岡睦雄、伊島空、森岡龍、諏訪敦彦、嶋田久作、イッセー尾形
配給/エレファント・ハウス 10月8日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
(c)bathysphere
https://onoda-movie.com
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