ガラパゴス化した“もうひとつの日本”の実話! 南洋の孤島で戦い続けた最後の日本兵『ONODA』
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フィリピンに実在した、日本人による『地獄の黙示録』
中野学校卒業生たちは、沖縄をはじめ各地へと飛び、敵軍を撹乱させるための秘密戦や情報戦の準備を進めた。小野田は見習い士官としてフィリピンのルバング島に配属されるものの、圧倒的な物量を誇る米軍の猛攻の前に何もできず、部隊が壊滅していくのを目の当たりにするだけだった。他の日本兵たちが次々と自決していく中、小野田は谷口教官の教えに従ってジャングルに潜み、ゲリラ戦を展開する。小野田に従うのは、島田庄一(カトウシンスケ)、赤津勇一(井之脇海)、小塚金七(松浦祐也)の3人だけ。4人は敵に見つからないよう、ジャングルを日々移動しながら反撃のチャンスを待ち続けた。
1945年8月、米軍が撤退し、旧日本軍に向かって投降が呼び掛けられる。飛行機からは戦争が終わったことを知らせるビラが舞い落ちてきた。だが、中野学校で謀略戦について学んだ小野田は、これは敵国の巧妙な罠だと主張する。ビラの日本語に誤字があったからだ。他の3人も、小野田に従い、徹底抗戦することを誓い合う。
ジャングルでサバイバル生活を続けた小野田の忍耐力は、常人離れしたものがある。だが、この優れた忍耐力と用心深さが悲喜劇を招く。海の向こうでは、米軍が朝鮮戦争、ベトナム戦争を始めていた。ベトナム戦争を題材にした『地獄の黙示録』(79)では、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐が、ジャングルの奥地に独立国を築き上げた。だが、小野田にはカーツ大佐のようなカリスマ性はない。あくまでも上官の命令を守る組織の一員として、ジャングルに留まる。小野田の気まじめさに引きずられ、4人だけの戦争が続く。
米軍が消え、代わりに現れたフィリピン警察軍を相手に小野田たちは戦う。主な食料はバナナやヤシの実だったが、それだけでは栄養が足りないので、島で暮らすフィリピン人が放牧している牛を銃で仕留め、貴重なタンパク源とした。お米なども奪った。日本では英雄視される小野田だが、現地のフィリピン人にとっては山賊同然の存在だった。通報を受けたフィリピン警察軍や自警団との銃撃戦が交わされ、仲間は一人、また一人と減っていく。フィリピン側の犠牲者も多数に及んだ。1972年に小塚(千葉哲也)が亡くなってからは、小野田(津田寛治)ひとりっきりとなってしまう。
ジャングルで50代を迎えた小野田を津田寛治が演じているが、本人によく似ている。津田は13kg減量して映画の撮影に挑んだそうだ。カンボジアでのロケ撮影は4か月にわたったという。ストイックな生活を送る人間の顔つきは、似てくるものなのかもしれない。
英雄と狂人との違いは紙一重。狂気によく似た英雄談に、日本のひとりの若者が引き寄せられる。のちに冒険家として知られる鈴木紀夫(仲野太賀)だった。
「パンダ、小野田さん、雪男に会うのが夢」
日本ではすでに死亡したと思われていた小野田に会うために、鈴木青年は単身でフィリピンのルバング島へと渡る。
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