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「土俵の女人禁制」の矛盾とは? 国技館、表彰式、千秋楽……大相撲の“創られた伝統”

「土俵の女人禁制」の矛盾とは? 国技館、表彰式、千秋楽……大相撲の創られた伝統の画像1
なぜ土俵に女性が上がってはいけないのか?(写真:Chris McGrath/Getty Images)

 2018年、大相撲の京都府舞鶴市での地方巡業中に市長が土俵の上で倒れ、医療関係者の女性が救命のために土俵に上がった。その際、客が「女が神聖な土俵に上がっていいのか」などと騒いだことを機に改めて浮上したのが「土俵の女人禁制」問題である。先頃、この事件を契機に慶應義塾大学名誉教授の鈴木正崇氏が執筆した『女人禁制の人類学 相撲・穢れ・ジェンダー』(法蔵館)が刊行。同氏に「土俵の女人禁制」問題が“発生”した経緯と日本相撲協会の問題点について訊いた。

前編はこちら

「土俵の女人禁制」の矛盾とは? 国技館、表彰式、千秋楽……大相撲の創られた伝統の画像2
鈴木正崇著『女人禁制の人類学 相撲・穢れ・ジェンダー』(法蔵館)

相撲協会「土俵には神様がいる」の不確かさ

――先生の本によれば、山の女人禁制や女人結界の話と、大相撲の土俵の女人禁制はまったく別であるとのことでしたが、相撲のほうはどういう経緯でできてきたものなのでしょうか?

鈴木 山の女人禁制や女人結界は、聖地や霊山に関する禁忌で、特に山岳で修行する人々が遵守を強く主張してきました。聖地での禁忌は守る義務があり、女人禁制は多くある禁忌のひとつでした。相撲の場合は、日本相撲協会の人たちは「相撲は神事が起源である」という主張を根底に持っているようですが、実態は興行です。相撲協会が相撲の起源と主張する宮中の年中行事の「相撲節会(すまひのせちえ)」は、雅楽や歌舞などと一連の芸能の行事で、中世には絶えてしまいます。ただし、信仰に関わる相撲は皆無ではありません。起源は不明ですが、相撲で神仏を喜ばせたり勝敗で豊作や豊漁を占ったりする行事もあり、大三島の大山祇(おおやまづみ)神社の春と秋の例大祭で奉納される「一人角力(ひとりずもう)」では力士が田の精霊と勝負を競い豊作を願います。隠岐島では若者のときから相撲に参加して、神社に奉納する熱狂的な行事が根づいています。他方、現在の「大相撲」の起源は、江戸時代中期に「土俵」ができて以後で、寺社の修理・再建・維持の浄財を集めるために寺社の境内で行われた勧進相撲です。相撲は興行が本質です。時代を下ると見物人を楽しませる娯楽の様相が強まります。江戸での開催地は次第に回向院の境内に固定し、初代国技館も同じ場所に建てられました。「相撲」一般と興行としての「大相撲」を分けて考える必要があります。前者には1960年代まで盛んであった女相撲も含まれています。

――「土俵の女人禁制」は「大相撲」の問題だと。

鈴木 「大相撲」は、近代になって国技館を建てて表彰式を新たに創設しました。「土俵の女人禁制」が問題視される場合の多くは表彰式や挨拶に集中して現われます。相撲協会が女人禁制を解除しない理由に「数百年の伝統」を持ち出しますが、歴史的には説明できません。あくまで明治以降にできた「近代の伝統」の文脈から生じたものですから、変えようと思えば変えられるのです。

――神事でなく奉納だとのことでしたが、それでも相撲協会は「土俵の上は神様がいる神聖な場だからダメだ」という理屈で反対しているわけですよね。

鈴木 その言い分は正確さを欠いています。本場所の1日前には、「土俵祭」という行事を土俵を祭場として行いますが、担い手は神職ではなく立行司(たてぎょうじ)です。このときに土俵に招かれるのは、神社で常に祀られているような「神」ではありません。祭りごとに招かれ、終了すると「神送り」で帰っていく。「神以前」の「カミ」です。自然そのものに宿る、大地のカミや稲のカミを祀るのです。行司が土俵上で読み上げる「方屋開口(かたやかいこう)」には祭りの意図が明確に書かれています。現在は祭神は相撲を守護する相撲三神(戸隠大神、鹿島大神、野見宿禰[のみのすくね])になっていますが、祭神名を確定したのは戦後です。カミは、大相撲の場所ごとに土俵に迎えられ、終わればまた送り返します。したがって、本場所の大相撲の開催期間以外には、土俵の上にカミはいません。だからこそ、国技館を相撲以外のイベントの会場として使うこともできるのです。ただし、戦前の本場所は年間2場所か3場所で1場所につき10日程度だったのが、現在は年間6場所、1場所15日で年間90日になり、カミがいつも土俵上にいるように考えるようになってしまったのだと思います。

表彰式と内閣総理大臣賞の創設で俗人が土俵へ

――相撲が女性を常に排除しているわけではなく、集団としても、また、時間的にも空間的にも限定されていると。

鈴木 2018年に舞鶴で地方巡業中、市長が倒れた際に救命のために医療関係者の女性が土俵に上がって大騒ぎになりましたが、「本場所」の土俵での出来事ではないのですから、本来は問題ないのです。白鵬が当日、「本場所ではないのに」とつぶやいたように、力士たちは巡業の「花相撲」と年間6場所の「本場所」は違うと意識しています。にもかかわらず、相撲協会は対応が一貫せず、その後のコメントも「伝統」一本槍で真摯な説明を欠いていました。
 「大相撲」の場合は、力士は男性しかなれませんし、力士出身者からなる相撲協会も幹部は男性しかいません。したがって、土俵に上がるのは男性に限定され、女性が土俵に上がるという事態は、禁ずるまでもなく生じ得ないことでした。男性中心主義が卓越した社会なのです。問題は表彰式です。明治42(1909)年の国技館の完成以後、大相撲は「海外ではスポーツの優勝者は表彰する」という慣行に倣って表彰式を創設しました。表彰式それ自体は、「伝統」ではありません。表彰式に大きな変化が生じたのは、幕内優勝力士に贈る内閣総理大臣賞が1968年に創設されたことです。これ以前は、相撲関係者以外が土俵に上がることはほぼなかった。

――カミに捧げる奉納相撲をしている神聖な場所に俗人を入れるという発想自体が戦後のものだと。

鈴木 問題は、内閣総理大臣賞の創設以後、相撲関係者以外の俗人を土俵に上げる可能性が生まれたことです。この時点で相撲協会は「女性が土俵に上がる」という可能性を想定していなかったと思います。
 千秋楽では最後に神送りを行うので、その後に表彰式を行えば、論理的には女性も土俵に上がれるはずですが、順番を改めることは考えもしなかったのです。

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