女性が霊山を登れないのは伝統か差別か?「女人禁制」の“正史”と批判派・擁護派の不毛な議論
#本 #社会
「差別」も「伝統」も近代の論理である
――女人結界が解除されていくようになったのはいつからでしょうか?
鈴木 明治5(1872)年に政府が「女人結界」解除の指令を出しました。これは昨今のような「男女差別だから」といった理由ではなく、文明開化の論理によってです。京都で日本初の博覧会が開かれることになり、これに合わせて来日した外国人の夫婦が、近郊にそびえる比叡山に登りたい思ったときに「女性が登れない? 日本は奇妙な因習が残る遅れた国だ」などと言われることを危惧したためです。あくまでも「女人禁制」ではなく「女人結界」の解除で、聖地や霊山を意識した指令でした。明治新政府は当初は神道国教化政策を推進して、天皇を中心とした国づくりを進めたので、政府の指令は「ミカドの命令」として浸透し、各地の女人結界をことごとく解除していく流れになりました。山を修行の場とした修験は、神仏分離や女人結界の解除で壊滅的な状態に追い込まれます。
――解除を迫る側が掲げるのは「文明開化」から近年ではフェミニズムに基づく「女性差別」へと変わりましたが、対抗する側は「伝統」を持ち出します。今お話いただいたように聖なる山に対する禁忌があるという考え自体は長く続いているものの、少しずつ理屈や適用範囲は変遷しているわけですよね。
鈴木 維持している側からすると「伝統」以外に答えようがないです。しかし、「伝統」が意識として浮かび上がるのは、「近代」以降です。前近代の社会では、「昔から行ってきた」「代々言い伝えられてきた」「開祖が最初に決めた」しきたりや言い伝えであって、長らく文字で記してこなかったことも多いです。近代になって人々の生活や慣習が劇的に変化する中で、従来の暮らしをどのように維持し、変化に対応するかの拠り所として「伝統」を持ち出すようになってきました。「伝統」という言葉は翻訳語で、大正期に「tradition」の訳語として使われ、昭和期に広がって定着した近代用語です。つまり、「差別」も「伝統」も近代の論理です。
もちろん、多くの人が長らく習俗として暗黙のうちに守ることで成り立ってきた決まりも、社会が大きく変わり、信仰が衰えてしまうと、今までやってきたことの意味がわからなくなるのは当然です。従来は疑問に思わなかったこと、なぜ祇園祭の巡行の山鉾(やまぼこ)に女性が上がってはいけないのか、なぜ女性が参加していない祭りがあるのか、という問いが生まれてきました。
しかし、信仰行事は習俗がないと成り立しません。例えば、1270年以上続くとされる東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)を『NHKスペシャル』が2021年に取り上げましたが、堂内は女人禁制で、修行者も男性限定です。ただし、番組の中でNHKは女人禁制には一言も触れていません。もし女人禁制を破れば、奈良時代から続いてきた儀礼は成立しなくなります。
地域・行事ごとに時間をかけて築き上げてきた地元の論理があり、禁忌もその中に含まれています。ただし、そこには女性に関する禁忌だけではないさまざまな規則が含まれています。例えば、かつて山は簡単にいつ登ってもよいものではありませんでした。男性でも登る前の数日間は生臭物を食べないとか、身を清めて小屋にこもるとか、水垢離(みずごり。冷水を浴びて汚れを除き心身を清浄にすること)をとるなど決められた作法があって、1年のうち特定の期間しか登拝は許されませんでした。このうちの女性に関わる部分だけを取り上げて現代の視点から見れば、差別や人権侵害であるかのようにとらえられてしまいます。
けれども、今でもしきたりを大事に守っている人、山の神や仏を信じて禁忌を守る人はいます。現在も女人結界を唯一残す大峯山の山上ヶ岳(さんじょうがたけ)の場合、山麓の洞川(どろがわ)の女性の間では女人禁制を解くことを望んでいない人が多いです。ですから、一方的に「差別だ」「悪だ」と決めつけないことが重要です。
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