『由宇子の天秤』に想う「ドキュメンタリーは嘘をつく」
#由宇子の天秤 #さよならシネマ
社会的弱者の切実な訴えは本当に真実だけなのか?
バツイチ男性たちは今まで、自分の離婚を外野からウンザリするほど責められてきた。仮に離婚の原因が夫婦でイーブンだったとしても、9:1で男側の甲斐性のなさが責められるのが今の世情である。
「奥さんがメンヘラ化した? お前の包容力が足りなかったからだろ」
「彼女が苦しんでいたとき、なんでもっと寄り添ってあげなかったの?」
「心を病んだパートナーを捨てたんだ。ひどいね」
事情も知らない第三者からのダメ出しという「二次被害」に傷ついた男たちが最後にたどりついたセルフケアが、絶対に反論しない聞き手に対して自分の被害者性を最大限アピールし、うなづいてもらうことだった。
取材ではインタビュアーである筆者が一切反論を挟まず、同意と同情の相槌を頻繁に打ち続ける。まさに「すべらない話」と同じ。オーディエンスの芸人たちが一致協力して話者のトークを全肯定してくれる例のやさしい空気に、バツイチ男性たちは安堵する。
「パートナーのせいで人生が台無しになり、周囲からの二次被害にも苦しんでいる」という意味で、彼らも立派な“社会的弱者”である。彼らは時に嘘をつく(かもしれず)、同情を誘うための小咄を作り上げる(かもしれない)。誰かを欺きたいからではない。自分を守るためだ。
『由宇子の天秤』は、このあたりに遠慮なく踏み込んでくる。
多くの取材や調査資料を大小無数の梁として組み上げることで、ようやく完成する社会正義打ち出し系ドキュメンタリー。しかし「社会的弱者の切実な訴えは問答無用で真実である」という建物の基礎部分に、もし重大な欠陥があったら?
『阿賀に生きる』なとで知られるドキュメンタリー監督・佐藤真は言った。「被写体はキャメラの前で作り話を演じる。そして嘘が多くなればなるほど、作り話は艶(つや)を増す」と。
ドキュメンタリーの面白さとは、あるいは罪深さとは何なのか。それらは打ち消しあうのか、相乗効果をなすのか。『由宇子の天秤』は脚本のある劇映画だが、「ドキュメンタリーについてのドキュメンタリー」でもある。
引用出典:『ドキュメンタリーは嘘をつく』(森達也・著、2005年、草思社)、『ドキュメンタリー映画の地平 世界を批判的に受けとめるために』(佐藤真・著、2001年、凱風社)
『由宇子の天秤』
9月17日(金)渋谷ユーロスペース他全国順次ロードショー
キャスト:瀧内公美 河合優実 梅田誠弘 松浦祐也 和田光沙 池田良 木村知貴 川瀬陽太 丘みつ子 光石研
監督・脚本・編集:春本雄二郎
プロデューサー:春本雄二郎 松島哲也 片渕須直
配給:ビターズ・エンド
製作:映画「由宇子の天秤」製作委員会
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