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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 石戸諭が語るメディアの問題点

石戸諭が語るメディアの問題点、そして“良いニュース”とは?「ニュースは動詞に宿る。意見ではない」

バランスを捨て、オピニオンに擦り寄るメディア

ーー実際にネットメディアは保守、リベラル、フェミニズムなど特定のオピニオンの”業界紙”と化したり、その「ムラ社会」の一員となっているものが増えています。ただ片方の意見に加担すると、もう片方の意見の人はそのニュースを読まないし、信じないため、結局その層の人を取りこぼしてしまう。それはより広く情報を伝える意味でのメディアの役割を捨てていることにならないかと疑問に思っています。

 先ほども言いましたが、今の時代は極端な話、リベラルや保守といった政治的なクラスター、インフルエンサーが多い医療界隈、科学者界隈のコミュニティの中にうまく入ることができれば、メディアはそこそこ食えます。PVも取れますし、シェアも広がり、結果的にお金になるんです。今のネットメディアぐらいの規模だったら、そこそこ回ります。ただし、それではもっと幅広い層に届けるという役割はプラットフォーマーに依存することになります。論点のフィールドになることは極端に少ないでしょうね。

ーーネットメディアのタコツボ化ともいえると思いますが、ここ最近ではこの悪い手法が新聞社やテレビ局などマスメディアといわれるものにも流入している。大手メディアの記事を読んで感じるのが、両論併記をやめている。片方の意見ばかりを載せるものが増え、バランスが悪くなっている印象があります。

 特に新聞社が悪い意味でネットメディアのようになっています。バランスが悪くなっているというか、バランスを取るという考えそのものを捨ててしまっているように思えます。別に「自分はこういう立場です」とやりたければやっていいけれど、良いニュースを目指したいのならばもっと丁寧にかつ言葉を尽くす必要があります。

 結局、今はオピニオンの時代なのです。だから取材対象は誰でもよくて、オピニオンが自分たちの味方か敵かという考えが先にきてしまっている。中にいる人たちは、このままでいいのかという危惧はあると思います。オピニオンに寄せてニュースを発信すると、怖いぐらいに影響力があるわけですから。

 本当にみんな党派でよく固まりますが、僕はもうそれは好きにやってくださいという立場です。そんなことよりも、どう良いものを作っていくかということにシフトしていかないとニュースには未来がないからですね。

ーー小規模、中規模が多いネットメディアならともかく、新聞社のように数百、数千人を抱えるメディアで多様性が希薄になっているのは、危機感を感じてしまいます。

 メディアの陣営化ですよね。一つのメディアの中で多様性があるということが価値だったと思うのですが、もうあまり望めなくなっています。ネットに傾注するとやっぱりそうなるな、という感じです。本の中で<毎日のようにSNSで怒りを表明し、感情の連帯を強め、インフルエンサーになることも大切ですが、現場に足を運んだり、立場の異なる人間と対話をしたり、方法を考えることで研ぎ澄まされていく「複雑さ」への感覚はもっと大切です>と書いたけれど、マスメディアが率先して複雑なものに対して目を向けないとこの先は厳しくなります。

 ネットメディアが複雑さや物事や人物の機微を捉えているのならば、オルタナティブになると思いますが、課題が多い。

 今はオピニオンを強く打ち出すことで数字が取れるから、その選択も合理的ではある。でも長期的にオピニオン路線を続けるためには、無限に正しくないといけないのです。それはメディアが自分が自分で首を絞め、幅を狭める行為だと思います。

ーー自分で首を絞める例の一つが先日、テレビ朝日の社員が緊急事態宣言中に10人で飲み会をして、一人が店の外に転落して緊急搬送された件ですね。これまで自粛を求め、政権のコロナ対策をかなり批判していただけに、その事実が発覚した際には炎上しました。

「テレビ朝日は番組で偉そうなことを言ってるんだったら、ちゃんと行動しろよ」となっちゃいますよ。「偉そうなことを主張していたのは別の番組だ」という主張は、業界内部では理解されるかもしれませんが、社会的には理解されません。

 そうした批判は、自分たちの言い続けてきたことの帰結です。でも、ニュースとして本当に面白いのは、なぜ彼らは自分たちが言っていたことをなぜできなかったというところじゃないですかね。

 たとえばイギリスでは政府の新型コロナウイルス対策顧問を務め、“ロックダウン教授”と言われたニール・ファーガソン教授が辞任する騒動が2020年にありましたが、その理由は不倫スキャンダルなんです。ロックダウンしろと言っていたファーガソン自身が、その間に不倫相手を家に招いていて、結局辞任したのです。でも、僕は非常に人間味があるなとも思っていました。人間は望ましいことがあるとわかっていても、できないことがあります。そこにニュースが宿ると思うのです。

ーーたしかにそうですね。今は大谷翔平みたいに品行方正で能力も高いヒーローがいるけれど、人間みんながああいうふうになれるわけではありません。

 社会は高潔な人ばかりではない、という考えが今のニュースにはなかなかありません。それがオピニオン化の問題だとも言えます。例えば、テレビ朝日の玉川徹さんが多くの支持を集めているのも、彼が、政権に批判的であったり、新型コロナに対する自分の考えを肯定してくれるといったように、オピニオンが一致しているから拍手喝采しているわけです。

 そのやり方は一部の熱狂的なコアなファンを獲得するけれど、もうちょっと穏健な考えを持もっている中間層にいる健全な知的好奇心を持って、世の中を知りたい、考えたいという層をみすみす手放しているように思えます。

ーー石戸さんの「ニューズウィーク」(CCCメディアハウス)の「沖縄ラプソディ」(2019年2月26日号掲載)が面白かったのは、基地の賛成でも反対でもどちらでもない立場から書かれていたからです。その立場だからこそ見えてくるものがある。

 僕自身の考えは当然あるので、それは原稿の中に明記しています。「沖縄ラプソディ」で採用したのは、賛成と反対の人々の生き方や流儀を同時に存在させるということです。そして、彼らの共通点を見いだす。AとBという人が対立している、私はAの味方をしますというニュースがあってもいいけど、それだとBの方にいる人たちを完全に取り逃してしまうし、考えを深めることにはつながらないのです。

ーー本の中では「一つの仮説を構築するにも相応の時間がかかる」と書いていますが、物事に対して性急に答えを求めるようになっています。そもそも物事の答えを出すには仮説を立て、検証をしてと時間がかかるものなのに、SNSにつられて1秒2秒で白黒つけようとしている。その部分は改めて考えないといけない。

 結局、考える時間が今はないのです。ニュースを読んだり、見たりした瞬間に「自分はこういう意見だ!よしハッシュタグをつけて発信だ!」となっています。ニュースの発信者でも少なくない人がそうなっている。でも、ハッシュタグを書かせること自体は簡単なんです。感情を刺激して、怒って、署名しましょうという話に持っていけばいいからです。それがメディアの役割だという人たちを否定はしないけど、本当に複雑な社会を考えるという役割はどこにいったんだ、誰が担うのかと思うのです。

 この問題はおかしい、私はそのために戦うんだ。それはいいけれど、全員が全員、同じ価値観である必要はない。それだったら、僕はもうちょっとその考えの部分にアプローチした方がいいんじゃないのという立場に立つわけです。

ーーSNS、ネットメディア、これは独立だけでなくマスメディアによるネットメディアも含めてですが、感情を煽ることに熱心で思考する機会、時間を奪っている。立ち止まる大切さはやはり必要です。

 先にも触れたマスメディアのネットメディア化はやっぱり問題ですね。徳重さんは、先程ネットの悪い部分に引きずられていると言っていたけれど、やっぱりネットに触れていくうちに知らず知らずにそうなってしまうんです。マスメディアの人間でもネットの反応を見て「このニュースはいい」と言ってくる人たちがいれば、その考え方に寄っていってしまうのも仕方ない。

 この本でニュースの発信者にこそ安直に答えに飛びつかない力が必要、あいまいさに耐える力が必要だと書いています。

 そのために必要なのはやはり取材です。取材を積み重ねれば、おのずと同じ考えの人だけでなくく、全然違う考えの人に話を聞かなければいけない局面がでてきますし、実際に足を運んでみたらまったく違ったという経験もできるわけです。SNSに染まりすぎない処方箋って僕はシンプルに、取材に忠実であればいいだけだと思うのです。

 そもそもインターネットの中だけが世界じゃない。そういうところからもっと出ていくべきなんです。いろいろな人たちと関わるのも大事だし、現場に行ってみて、会って話を聞いてみると驚きに満ちた何かがあるわけじゃないですか。それに対して素直に表現すれば、そこに繋がる表現になるでしょう。そこが大事なんです;

 意見の違う人と接触するのが難しいと思うかもしれないけれど、たとえば親族の集まりなんかを想像してみてください。自分や自分の周囲と違う考えの人、温度差を感じる機会があると思うのです。でも、それで付き合いをやめているかというとそうでもない。「まあまあ」と言いながら付き合えてはいるのが現実ではないでしょうか。

 現実世界では、みんなそうやって折り合いをつけていることが、インターネットだとできなくなる理由に興味はあります。

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