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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 石戸諭が語るメディアの問題点

石戸諭が語るメディアの問題点、そして“良いニュース”とは?「ニュースは動詞に宿る。意見ではない」

そろそろネットメディアについて正当な評価をすべき

ーー私も石戸さんも「ネットメディアはそんなに幸せな世界ではない」という認識が共通してありますが、その一方でいまだにネットメディアを信じていたり、本当は信じていなくても利益のために理想郷だと発言している人もいます。

 ネットメディアについては、そろそろ正当な評価するべき時期に来ていると思っています。これから数年で倍々ゲームで利用者が増えて、新聞社のような人数を雇えるような規模になるならいいけれど、でも現実には無理な話です。いろいろなニュースの仕事を組織的にカバーしようと思うと、新聞社くらいの人数が必要ですが、そこまで成長するのも夢物語でしょう。ネットメディアは、新聞社より小規模の「週刊文春」の規模や記者の質に追いつくことも厳しい。

ーー記者志望の人がこの記事を読んでいるのなら先に言っておきたいんですが、ネットメディアで人材を育成するのはかなり厳しい。

 そうなんですよ。本の中でも人材育成は業界全体の課題だと書きましたが、新聞社は新人を大量に採用し、10年ぐらいをかけて相応の力がある記者を育てる力があります。他方、ネットメディアは日銭を稼がなきゃいけないから、育てる時間的な余裕はありません。もちろんトレーニングをすれば、できるようになる部分もあるけれど、本当に力を鍛えるような経験はできないと思います。

 表玄関から入って「何か聞かせてくださいよ」というインタビューを取ることはできるけれど、裏口から入って関係者といろいろつながって話を取ってくるとか、話を聞きました以上の記事が書けるライターを一から継続的に育成するのは、今はまだ難しいかなと思います。

ーーただ本にも書いていますが、メディアが今後どうなるかという問題と、記者であれライターであれ編集者であれ、個人が良いニュースを作れるかというのはまた別の話です。

 今、ニュースの問題は、組織運営の話であったりとメディアの諸問題が混在していることにあります。マネタイズの問題はまさにそうです。メディア業界のお金をどこから持ってくるか。広告主からなのか、読者からなのかという話はそれはそれでいくらでも議論したらいいと思います。でも売り物であるはずの、ニュースのクオリティの話はどこに行ったのかとずっと思ってきました。何を売るのか、どういうクオリティのものを売るかはついぞやっていません。

 これはメディアをやっている人間はよくわかると思うんだけれど、結局「良いニュースとは何か」を定義できていないのです。だから質的評価、質的な指標を作ろうという話から逃げてしまうのです。なぜ質的評価ができないかというと、その評価には評価する個人の価値観が入ってしまうからです。

 質の評価がおろそかになる一方で、数字には価値観が入らないため、PVやシェアで評価するという考えは隆盛を極めています。今はPVやシェアを取る方法自体があまりにもパターン化されていますよね。楽なのは、メディアのスタンスを決めてしまって、コミュニティの一員になることです。そうすれば数字は確実についてきます。

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