綾瀬はるか、実は引退を考えていた!? 10~20代を回顧しその“波乱万丈すぎる”歴史をプレイバック
#綾瀬はるか
「過去の自分にも言いたいけど、なんかこう、迷ったり不安になると外に答えを探しがちになるなって思うんだけど、でもたぶん自分が感じていることとか、自分の直感が本当に、自分しか答えを知らないから、今の自分がある」
綾瀬はるかが自身の人生などについて語るインタビュー『#私のピテラストーリー』が、8月25日よりユーチューブで公開されている。
「綾瀬は17日に配信されたSK-Ⅱの新ウェブCMで、2010年に初出演した同ブランドテレビCMのリメークに挑戦。それを見てテレながらも10~20代の頃を振り返り、『目の前にあることに一生懸命で“自分ができることに応えたい”“皆さんに言われていることに応えたい”っていうことに一生懸命で、30歳までには辞めて…みたいな』とコメント。当時は“芸能界引退願望”を抱いていたことを明かしました」(芸能ライター)
今や国民的女優に上り詰めた綾瀬だが、そこに至るまでの道のりはけっして順風満帆ではなかった。
「彼女ほど、下積み時代からの“のし上がりっぷり”が凄いタレントはいないでしょう」。
「彼女がグラビアアイドルだったことはよく知られていますが、大手芸能プロ所属のわりには扱いはぞんざいでした。デビューDVD『JUMP!』はタイトル通りに飛びまくり、86センチのバストを揺らすのみ。続く、セカンドDVDではホテルの1室でインタビューを受ける彼女がなぜかナスを握ってずっと擦っているのですが、ナスの説明が一切ないシュールな映像となっています。当時の撮影スタッフによれば、彼女が一人外で『なんで私、こんなことしてるんだろ』と泣いていたそうです。2002年にはグラビアユニットに所属し、面積の小さいビキニを着させられていましたから、30歳までに辞めようと思っていたという話も納得です」(同)
バスト以外にも、その天然キャラでもメディア関係者をたびたび戸惑わせたものだった。別の芸能記者が述懐する。
「2002年日韓ワールドカップのイベントでは、注目のサッカー選手を聞かれて、『サッカー選手になりたーい』と意味不明のコメント。当時の日本代表監督だったジーコが愛称だと知ると、『ジーコって芸名だったんですか?』と、どうツッコんでいいかわからないような発言をしていました。映画『ハッピーフライト』の舞台挨拶で、全日空(ANA)が全面協力しているにもかかわらず、『日本航空(JAL)のCAに観たいって言われました』と言って、会場にいたANA関係者を引きつらせたことも。ほかにも、ダイエット番組に出演するも失敗して芸能界引退の危機に瀕したり、2006年にはニュージーランドの空港で背中につけていたカイロが危険物と間違われ、現地警察に一日拘束されるハプニングに見舞われてもいます」
苦しんだ時期を経験し、「結局やれることっていうこと、自分が今やれることを最大限にベストで出していくことしかない」と話した綾瀬。彼女がこれまで演じてきたどんなドラマよりも、自らが歩んできたサクセスストーリーのほうが見応えがありそうだ。
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