宮迫博之に元芸人が感じた違和感…雨上がり解散番組に臨んだ二人の差
#雨上がり決死隊
やはり衝撃だったのは解散の理由
蛍原さんとしては、ロンドンブーツ1号2号の亮さんのように猛省し、世間の方に許してもらえるまで自粛し、許しを得たら二人で1から漫才をやらせてもらい少しずつ活動していくという考えだったらしい。それに対して宮迫さんは、相方に相談することもなく自粛した19年6月から5か月後の11月にYouTubeチャンネルを開設し、20年1月からYouTube活動をしている。
ロンブーさんのようなコンビ活動を願っていた蛍原さんからしたら、宮迫さんのように一人で突っ走ってしまった行動に落胆してしまい結局YouTubeが原因で蛍原さんの中に溝が出来てしまい、その溝が埋まらずに解散となったわけだ。
これに関して宮迫さん本人も自分が悪かったといい、ほかの芸人も宮迫さんを責めているが、自分に置き換えても同じことが言えるのだろうか。
亮さんと宮迫さんの大きな違いは、コンビの方向性を決めてきた人物かどうか。
亮さんは淳さんに絶対なる信頼をおいており、淳さんもコンビとして亮さん個人としての先を考えて会社を作ったり、YouTubeチャンネルを開設したりと亮さんの復帰に向けって動き、その甲斐あって謹慎から9か月後に亮さんを地上波に復帰させた。復帰させた後も当面の間はセットの外で収録を見学する形で出演させ、きちんとセットの中で復帰させたのは21年1月となっている。
このように宮迫さんがコンビの方向性を決める人物でなければ亮さんと同じようにできたかもしれないが、雨上がり決死隊は宮迫さんが方向性を決めていたコンビ。
宮迫さん本人は、生活もあるからYouTubeを始めたと言ってたが、お金なんてどうにでもなる。何故なら相方の蛍原さんは引き続きレギュラー番組を持ち、お金だって持っている。相談すれば貸してくれるに決まっている。そもそも宮迫さんにお金が無いはずがない。生活の為に始めたのではなく、謹慎から半年経ったくらいで何かしないと自分の居場所がなくなると思い動き始めたのだろう。ましてや自分がいなくても滞りなく進行するアメトーークを見て焦った事だろう。だから新しい生きる為の場所としてYouTubeを見つけ、そして藁にも縋る思いで始めたに違いない。
これは別に悪いことではない。
30年以上笑いを発信し続けた男が急に何も発信出来なくなることの恐怖は計り知れない。千原ジュニアさんが何十年と一緒にいた芸人よりYouTuberを取るのかと発言していたが、YouTuberを取るのが当たり前だと思う。溺れて沈みかけている人間が遠くの船より近くの丸太にしがみつくのは当然だ。
問題は蛍原さんに相談しなかった事。相談さえしていれば何かしらほかの方法が見つかったかもしれない。何を言っても後の祭りだが。
あとの祭りと言えば、番組内で号泣しながらコンビ結成を促したFUJIWARAの藤本さんに対して「すごくありがたい言葉なんですけど」と前置きしたうえで「僕も1年半ずっと泣いてたんで。それは自分なりに決定した事なんで」と。
この言葉の重さは凄まじかった。大げさにいっても1年半ずっと泣いていたなんて言えない。つまり大げさではなく、本当に実際にも心の中でも1年半ずっと泣き続けていたんだとわかる言葉だった。たぶんコンビの復活は無いだろう。1年半流れていた涙を拭いて前に進むことを決意した男は強い。
号泣する藤本さんから「解散何とかならないんですか?」と振られた東野さんの「おれ、ケツ、仕事あんねんけど……」と言える芸人東野幸治も強い。
ちなみにこの番組を見た芸人や昔からのファンが雨上がり決死隊の解散を悲しみ、復活を希望するような声をあげているが、一般の人たちからすればどうなのだろう。
『アメトーーク!』に宮迫さんが復活するというニュースだったらここまで話題になったのだろうか?
YouTubeで宮迫さんを知った世代は、芸人さんたちほど雨上がりさんに対して思い入れはないだろうし、雨上がり決死隊の面白さをわかっていないだろう。下手したらコンビだという事すら知らない可能性もある。
宮迫さんは蛍原さんの隣に戻るために頑張るというのを明言するよりも、雨上がり決死隊は二人でひとつ、宮迫単体より雨上がり決死隊の宮迫の方が何倍も面白いということを言い続け、若い世代にも雨上がり決死隊に興味を持たせるべきだったのではないだろうか。
宮迫さんが放送の2日後、8月19日に自信のYouTubeチャンネルで「昨日の『アメトーーク!』を終えて、お伝えしたい事」と題して7分強の短い動画を投稿した。
内容は17日の「アメトーーク!特別編」について、共演者への謝罪やスタッフやゲスト、吉本興業、蛍原さんへの感謝。そして解散の原因となったYouTubeを始める時期についての反省をしていた。その反省の中で「土下座でもなんでもして時期をずらせば良かった」と言っていたのだが、そもそも時期をズラすなんて考えはなく、何としてもやりたかったのではないだろうか。少しでも早く自分の居場所を見つける為に。
さらには「一番つらいのは自分じゃなくて、蛍原さん」と言っていたが、二人とも辛かったと思う。コンビはなんでも半分こにして良い思っている。良いときも悪いときも。だから辛い時期は二人とも平等に辛かったはずだ。
なんでも半分こに出来なかった宮迫さんがいたから、蛍原さんが一人で解散を決めたのかもしれない。
コンビは半分こしていいのに。
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