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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 宮迫博之に元芸人が感じた違和感

宮迫博之に元芸人が感じた違和感…雨上がり解散番組に臨んだ二人の差

なんか笑いにくい…会見の模様

 事件直後に散々反省し、蛍原さんへ謝り、そして人の目を気にして生活し、ボケることを自粛していたのでは無いだろうか。

 そこから2年の歳月を経て、自分がもう一度、テレビに出てボケても許されると判断したのなら、謝り続ける自分の姿は頭の片隅にもなかったであろう。芸人はテレビに出演していない限り視聴者の中では時間が止まるのだ。つまりYouTubeを見ずにアメトーークだけを見ている視聴からしたら宮迫さんは2年前で止まっているのだ。

 番組を見ていて、宮迫さんのトークに違和感を感じた方はいるだろうか? 「あれ?なんか笑いにくい」とか「宮迫さん浮いてない?」など。

 明確な理由はわからないが、なんかトークの流れがスムーズじゃないと思ったとしたらそれは正解である。

 宮迫さんはテレビに対して2年のブランクがある。これは相当ダメージが大きい。

 テレビは出演していない時期も常に進んでいて、トークの仕方、使われる内容、空気感などは微妙に変化し続けている。微妙な変化も2年経つと恐ろしいほど莫大な変化となり、宮迫さんの笑いの取り方、言い回し、空気感が2年前のものであり、違和感の原因となってしまったのだ。

 その分かりやすい例として、宮迫さんが喧嘩別れではないという話をした時に、蛍原さんが「フラれた側は言わない方がいい」と忠告した。それに対し「ブスやん。フラれたはイヤ」と発言した。この「ブス」というワードで笑いを取るのは今の時代はナンセンスになってきている。

 今テレビに引っ張りだこの女性三人組「3時のヒロイン」が「デブ」や「ブス」などの容姿ネタを封印すると言って賞賛されていた。芸人にとってはコンプレックスが売りになったり、いじられて笑いになることによりコンプレックスがなくなる場合があるが、一般の方にとってコンプレックスはやはり触れられたくない部分。ましてや芸人の真似をしてイジりとイジメの差がわからない一般人に触れられたら一生の傷になってしまう可能性もある。

 ダウンタウンの松本さんも「視聴者の意識が変わったのなら、ネタを変えてもいいと思う」と発言している。渡辺直美さんのオリンピックの演出侮蔑問題もあった昨今、敏感にならなければいけない部分だし、宮迫さんの立場であれば誰よりも意識しなければいけなかったのではないだろうか。

 トークに関してはもうひとつ原因がある。それは宮迫さんはYouTubeの世界でトークをし、蛍原さんはテレビのMCという世界でトークをしていたということ。

 テレビのMCというのは、その人間次第で番組がどう見えるか変わってしまうほど大事なポジションだ。多くの乗客がいる巨大な船を突然一人で操舵する事になったようなもの。そんな責任重大な事を約2年やってきた蛍原さんの言葉には説得力が宿る。

 解散報告会を見て宮迫さんの言葉が軽く感じたのは、逆に蛍原さんの言葉が重くなったからだ。

 でも宮迫さんもYouTubeでトークしていたから鍛えられていると思う人もいると思うが、YouTubeは一人で話し、一人で勝手に進んでいける。会話をするとしてもスタッフやYouTuberなどの喋りを本職にしている人間ではない。そうなると知らず知らずに芸人としてのトークが衰えてしまうものなのだ。

 つまり今の宮迫さんは芸人として2年前に止まってしまい、そこから約1年半YouTuberとして活動している。

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