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日刊サイゾー トップ > 社会  > 「きょうだい児」はなぜつらさを抱えるのか

障害者のきょうだい「きょうだい児」は、なぜつらさを抱えるのか? 専門家に話を聞いた

ケアだけではないきょうだい児の生きづらさ

——ここ数年、ヤングケアラー問題の一つとして「きょうだい児」にも注目が集まっていますが、ここまでお話を聞いていても、きょうだい児をめぐる困難はケアだけの問題ではないと感じました。

吉川:そうですね。ケアの問題だけで捉えるのは不十分だと思います。例えば、知的障害のきょうだいがいる場合、親から「優秀でいなければならない」とプレッシャーをかけられ、テストで90点を取っても怒られるような環境で生きてきたきょうだい児もいます。そういう場合は勉強を優先させられているのでケアには携わっていませんが、往々にして生きづらさを感じています。

 また、「障害のある兄・姉の面倒を見させるためにお前を産んだんだ」と親から言われているきょうだい児もいます。人は誰もが自分の人生を生きることが大事であるにもかかわらず、自分が生きている大前提が人のためという人生はかなりつらいです。このような極端な言い方はされていなくても、小さい頃から「きょうだいの将来の面倒を見なければ」というプレッシャーを感じ続ける人はけっこういると思います。

——吉川先生のご著書『発達障害のある子どものきょうだいたち』(生活書院)では、家族の機能不全についても言及されています。一般的に「機能不全家庭」という言葉は認知されつつありますが、機能不全家庭に障害のある子が生まれた場合のパターンは、想定されていないように感じます。

吉川:日本は家庭のことをブラックボックス扱いする風潮が強いです。DV(ドメスティック・バイオレンス)も、以前は「夫婦ゲンカ」として扱われていましたが、最近になってようやく暴力の問題として認知されるようになってきました。「家庭のことを他人に見せるべきではない」といった空気感から、家庭内で問題が起きても、解決方法がわからず、問題から目を背けてしまうような構造は脈々とあると思います。

——きょうだい児と接するときに、周囲の人間はどう関わればよいでしょうか。

吉川:「誰もが、自分の人生の主人公である」ということを社会全体で理解する必要があります。例えば、まだ日本では、「母親が家庭のことを主として担うべき」といった風潮が根強く残っていますよね。

 障害児の母親に「障害児がいるなら家にいるべき」といったメッセージを向けられることがありますが、母親だって自分の人生の主人公なんです。母親が望んで家庭のことに専念するならかまいませんが、周囲が押し付けるのは余計なお世話。もっとも今の時代、定型発達児(障害のない子ども)の母親にそんなことを言ったら「時代遅れだ」と批判されますよね。

 同じように、きょうだい児にも、「障害のあるきょうだいがいるから頑張ってて偉いね」「将来はきょうだいの面倒をみるなんて、優しい子だね」など、障害のないきょうだい同士だったら言わないような言葉をわざわざ向けることは、必要のないことです。

 また、きょうだい児に出会ったときは、励ますのではなく、きょうだい児の話すことに“傾聴”するような関わり方をしてみてください。どんな体験をしてどんな思いを抱えているのか、なかにはつらさを自覚できていない子どももいるので、表現できない思いを感じ取ってあげることが、周囲の大人ができることです。

——きょうだい児の置かれた状況を、大人が理解しようとすることが大切ですね。

吉川:そうですね。とはいえ、「きょうだい児だからこうだろう」といった決めつけも望ましくありません。私は「きょうだい児」という言葉が広まったことには、善し悪しがあると思っているんです。カテゴリー化されたことで、つらさが可視化された部分もあります。一方で、あくまで一人ひとりの事情は違うのに、個人を見なくなってしまう原因にもなり得ます。

 周囲の大人には、きょうだい児は特有の生活体験をしていて、苦しさを抱えているかもしれないけれど、あくまで一人の子どもである、といった視点で関わってほしいです。

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