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日刊サイゾー トップ  > イ・ラン「女は車を運転してるときに自由になる」
イ・ランの生命を担保にする(反)社会実験-1

きっかけは「女は車を運転してるときに自由になる」【連載第1回目イ・ラン インタビュー】

「恋愛も運転も初心者です」の問題点

──前回の連載では「授業中に見せられる教習ビデオの内容なんかも、この社会の問題点がもろに表れててすごくつらかった」とおっしゃっていましたけど、そのお話も共有していただけますか。

イ・ラン:筆記試験の前に見る教習ビデオがあったのですが、TVのバラエティ番組のようにMCがいて、数人のゲストと一緒に運転についてトークするという内容のものなんですね。まず最初に違和感を感じたのは、MCとコメンテーターの交通法専門家が中年の男性で、その補佐的な役割をする交通警察の人は20代の女性、そして“運転が下手な人役”のゲスト2人も若い男女というラインナップでした。交通警察の女性が「そんな若い女性が警察なんてすごいですね!」と言われていたのも嫌だったし、“運転が下手な人”の役として若い人たちを呼ぶというのも……。なんだか、『アメトーーク!』とかで若いタレントに無難なコメントを言わせながら、中年の男性芸人MCの発言に感心しているようなリアクションを取らせている構図と同じもののように感じて。それに加えてビデオの内容も、若い男女が「恋愛も運転も初心者です」「恋愛は積極的ですが、運転には慎重です」なんて自己紹介させられていて、全然面白くないし、ウワーもう聞きたくない! と思いました。

──なぜ、恋愛の話が…….運転の教習にまったく関係のないことですよね。

イ・ラン:その後に流れる、ドラマ仕立てのパートもずっと恋愛の話ですよ。“こういうミスをするとこんな事故になります”ということだけ伝えればいいのに、「こんな運転をしたらガールフレンドと別れることになるよ」と言ってみたり、若い男性ドライバーが助手席に座ったガールフレンドを罵って事故に遭ってしまったりね。そんな、見ている人全員が恋愛に関心があることや、異性愛が前提の世界観で作られているものを、そうでない人たちはどういう気持ちで見ればいいのか分からないじゃないですか。

──運転免許はその教習ビデオを見なければ取得できないから、見る/見ないの選択も許されていないわけですし。

イ・ラン:そうでしょう。あと、韓国では成人した男性でも両親から名前でなく“息子(아들)”と呼ばれることが多いんですが、一方で、女性は名前でしか呼ばれないんですね。息子は娘と違い、一家にとって大事なものだから、自立した大人になっても家族のものであるという家父長制の文化が表れた呼び名なんですけど、その教習ビデオでもやっぱりお父さんが息子を「아들~」と呼んでいるシーンがあって、やっぱり社会の雰囲気がそのまま表れているなと感じて嫌な鳥肌が立ちました。道路交通法ってすごく頻繁に改正されているから、教習ビデオも毎年最新版に作り替えられているはずなのに、価値観はどうしてアップデートされないのかすごく不思議なんですよね。

──教習ビデオを作る制作会社もそうですし、それにGOサインを出す道路交通法公団側、つまり、社会の側の体制や価値観に変化がないということの現れのように思います。

イ・ラン:この前、Netflixで『コミンスキー・メソッド』というドラマを観ました。マイケル・ダグラス演じる60代の元人気俳優が、俳優志望の生徒たちのアクティング・コーチになるというお話なんですけど、マイケル・ダグラスが生徒たちに対して「He,She,They(三人称単数としてのThey、ノンバイナリーなジェンダーアイデンティティを持つ人を表す代名詞)」と呼びかける場面がさり気なく描かれていて。なんか、そういうのだけで「この製作者は信用できるな」と思ったし、逆にあの教習ビデオの内容からは、異性愛至上主義でバイナリーだけの価値観を持つ人が作ったんだなということも強く感じてしまいますね。

 最近、私はソウル文化財団で助成対象者になるアーティストを選考する審査委員をやったんですが、その選考ルールとして“審査対象者のジェンダーやセクシャルアイデンティティ、国籍、家族構成で差別しないでください”という項目があるのに、同じ審査委員のなかにはセクシャルマイノリティやフェミニズムのテーマで芸術活動をするアーティストを「批判が起こるかもしれないからリスキーだ」と言って選びたくないと主張する人もいて、喧嘩になってしまったことがありました。アーティストが選んだ、それぞれの人生にとって大事なテーマを「批判がくるから危ない」と言って否定して、“安全”とされるテーマを選ぶアーティストばかりに援助をしていたら、ますますあの教習ビデオみたいな価値観だけの世界になってしまいます。

──批判や議論が起こることを「リスキー」「危ない」と見て、敬遠するわけですね。

イ・ラン:うん。そうやって変化を怖がっていつまで経っても変わらない社会の中で、女性が感情的になることも未だに「リスキー」だと言われて、車の中でしか大声を出せないからこそ、「女は車を運転してるときに自由になる」のかも。韓国の女性の間で“安全な別れ(안전이별)”という言葉が流行ったんですけど、それって男性が加害者になるデート暴力の事件がニュースになるときに、加害者側がいつも「相手が自分を怒らせたから暴力を振るった」と言っているからなんですよ。だから、暴力を振るわれずに“安全な別れ”をするためには、女性は別れ際に感情的になってはいけないっていう。

──“安全な別れ”という流行語の背景もそうですし、また今回のお話全体からも、抑圧的な社会構造が生む根深い問題が立ち上がってきたように思います。

イ・ラン:そうですね。この連載の第2回は、人はどんな時に大声を出すかということについてリサーチしてみてもいいかもしれない。なんでみんな一定のボリュームで話さなくちゃいけないのかというと、それは“このボリュームで話すべき”という社会のルールがあるからですよね。そんな中、私が働いていた映画の現場で大声を出してスタッフに言うことを聞かせていたのが男性監督だったように、この社会で大きな声を出すことが許されているのって、つまり権力者なんだと思うんですよ。普段の生活の中でそれぞれが出している声の大きさについて考えることによって、いろいろなことが見えてくるように思います。

■イ・ラン 3rdアルバム『オオカミが現れた』
きっかけは「女は車を運転してるときに自由になる」【連載第1回目イ・ラン インタビュー】の画像2前作『神様ごっこ』から5年ぶりとなるニューアルバムをリリース。「オオカミが現れた」や「よく聞いていますよ」「患難の世代」など、人気曲を収録。8月23日(月)よりデジタル販売/配信をスタート。その後、CD/LPのリリースも予定しています。

編集者、ライター。1990年生まれ。webメディア等で執筆。映画、ポップカルチャーを文化人類学的観点から考察する。

すがわらしき

最終更新:2023/02/28 10:47
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