大東亜戦争と「コロナ戦」教訓はなぜ活かされないのか? また政府の誤解・楽観からくる判断ミスに翻弄される国民
#政治 #新型コロナウイルス #菅義偉
政府が「コロナ戦」に苦戦する理由
コロナ禍において、東京五輪強行に突き進んだことも、大東亜戦争開戦時と被って見える。コロナを国内外に拡散させてしまう可能性があるにもかかわらず、五輪を開催したことは、人類に対する罪だとさえ言いたい。「国内外に拡散したかどうかなど、分かりっこない、バレない」と考えているのかもしれないが、それは卑劣というものである。
大東亜戦争において、政府は不利な戦況を国民に隠そうとし戦争を続けていたが、今回もまた同じようなことを繰り返すのだろうか。水際対策、コロナ感染対策がしっかりしていたら、まだ信用できるのだが、バブルなるものに大きな「穴」があることは、連日の報道で最早、明らかである。それなのに「安心・安全の五輪」だけを連呼して、開催に踏み切った。
「戦というものは、計画通りにいかない」ーーつまり、やってみなければ分からないと言った東條英機首相と何が違うのであろうか。菅政権は、最初は飲食店への時短を要請し、感染拡大が止まらないと、次に「まん延防止等重点措置」、それから「緊急事態宣言」を発令してきたが、これも、大東亜戦争時における戦力の逐次投入(代表例がガダルカナル島の戦い)と同じである。
やるべき時に、緊急宣言を発令せず、ダラダラと続けているのも良くない。人々は「緊急宣言不感症」となってしまうだろう。そうかと思うと、ワクチン接種体制も杜撰。職域接種と称して、企業にワクチンを大盤振る舞い。ソフトバンクなどは20万人分のワクチンを所持していたという。
これなども、無意味に企業に配るのではなく、大規模接種会場と自治体接種会場(もしくは病院等)に適切に配分し、ひたすら、打っていくほうが良かったのではないか。そうしていれば、ワクチンの予約中止などという事態は起こらなかったように思う。大東亜戦争時とコロナ禍における指導者の共通点を見てきた。
共通するのは、見通しの甘さ、楽観、そして戦力の逐次投入ということである。本稿の副題は「教訓はなぜ活かされないのか?」であるが、その答えとしては、戦後の政治家が危機管理や有事に慣れていなかったからだろう。または、有事(戦争)から学ぶ視点に欠けていたとも言える。有事というとタブー視される傾向にあるが、いざ有事という時にいかに動くか、有事までにどれだけの準備をしておけるか、そうした事を考えて特に戦後の政治家は動いてこなかった。これが、コロナ戦に苦戦する理由であろう。
大東亜戦争の敗戦により、日本の国土は焼け野原となった。しかし、その後、日本人は立ち上がり、雄々しく戦後復興を成し遂げた。コロナ禍が如何なる帰結を辿るのか、未だ見通せない面もあるが、莫大な損失・打撃を日本に与えたのは事実である。コロナ禍の「焼け跡」のなかから、我々は再び立ち上がらなければならない。
社会学者の小室直樹氏は「社会が悪くなると、人が輝く。心配はいらない」と弟子の宮台真司氏に語ったという。こんな社会だからこそ、有能な人間が輩出し、また新たな社会・時代を創っていく。その事に我々は賭けるしかないのかもしれない。もちろん、その輝ける人に、自分たち1人ひとりがなる意気込みを持って。
●著者プロフィール
濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)
兵庫県相生市出身 。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。 歴史家・作家・評論家。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員・姫路日ノ本短期大学講師・ 姫路獨協大学講師を歴任。大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『北条義時』(星海社新書)ほか多数。また、『 NHK大河ドラマ歴史ハンドブック麒麟がくる』『 NHK大河ドラマ歴史ハンドブック軍師官兵衛 』(NHK出版)など、共著も多く手掛けている。
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