最凶宇宙人と性悪少女のほっこり系SFドラマ!“東映特撮”へのオマージュ『サイコ・ゴアマン』
#映画 #パンドラ映画館
キリスト教的一元論の完全否定
このミミという女の子は、本当にこましゃくれており、鼻持ちならない。物事の分別がついていない少女の無慈悲さは、凶悪モンスターよりも手に負えない。一方、地球から遠く離れたガイガックス星にいる正義の集団「テンプル騎士団」は、サイコ・ゴアマンの封印が解かれたことを察知。最強の宇宙戦士「パンドラ」が地球へ向かうことになる。サイコ・ゴアマンとパンドラが地球上で激突すれば、地球人類は壊滅することは必至だった。
地球人類が滅亡の危機に向かうなか、ミミたち一家も家庭崩壊の危機を迎えていた。ミミとサイコ・ゴアマンが遊んでいる際にテレビがぶっ壊れてしまい、父親のグレッグ(アダム・ブルックス)は新しい大型テレビを購入する。ろくに働きもしないグレッグが高額電化製品を買ったことに、妻のスーザン(アレクシス・ハンシー)は大激怒。グレッグも不況で仕事がない鬱憤が爆発する。ミミたち一家の崩壊劇と人類滅亡の危機という2つのカタストロフが同時進行で展開されていく。
ミミたち一家の崩壊と人類滅亡の危機は、まるで別問題であるようだが、根底にあるものは同じだ。ミミの母親スーザンは、父親のグレッグは遊んでばかりいる怠け者だと責める。パンドラをはじめとする「テンプル騎士団」も、サイコ・ゴアマンを最初から極悪宇宙人だと決めつけ、圧倒的な力で押さえつけようとする。相手の欠点をなじり、暴力に対して暴力で応じる限り、憎しみは利息を増やしながら永遠に続くだけである。
その点に関しては、若いミミとルークは考え方がとてもスマートだ。パンドラとサイコ・ゴアマン、母スーザンと父グレッグ、どちらの考えが正しいのか、「クレイジーボール」で決めようと提案する。かくして、ミミたち一家と人類存亡の行方は、「クレイジーボール」の勝敗に委ねられることになる。本当にいいのか、それで……!?
スティーヴン・コスタンスキ監督は、本作でこれまでの常識的価値観を次々とひっくり返してみせる。『ミツバチのささやき』(73)で怪物と交流する少女・アナは純真無垢な存在だったが、現代っ子のミミは残酷極まりない。心優しい兄のルークさえ、生贄に差し出しかねない。甘やかされて育った少女ほど、恐ろしい生き物はいない。
また、本来なら正義のヒーローであるはずのパンドラ、および「テンプル騎士団」だが、非力な地球人類をサイコ・ゴアマンから救おうという意識はさらさらない。単に自分たちの既得権益を守りたいだけである。「テンプル騎士団」=神、サイコ・ゴアマン=悪魔、というキリスト教的な善悪論や一元論は、コスタンスキ監督が描く世界ではまったく成り立たない。
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