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日刊サイゾー トップ > 社会  > 「表現の不自由展」中止は「不測の事態」であるはずがない

「表現の不自由展」中止は「不測の事態」であるはずがない 美術館関係者が騒動を見て思うこと

――少し意地悪をいえば、Aさんのような日本美術界のインサイダーは、津田さんのような外部からの視点に、少し寛容になってもいいのではと思うのですが。

Aさん:確かにそういう部分はあります(笑)。私たちは普段「表現の自由」や「公益性」について、常にさまざまな角度から考えています。それだけに、党派的な政治活動に美術展を利用しているように見える部分に、敏感になりすぎているところもあるかもしれません。

とはいえ、私たちは、私たちの立場で仕事を積み重ねていく。そこに“素人の蛮勇”で新たな提言があり、対話しながら新たな落としどころを探っていく。それでいいじゃないですか。アウトサイダーの意見がなぜそのまま通らないんだ、という主張こそ無責任です。

それに、私たちだって国内ばかり見ているわけではありませんよ。みなさんの方こそ、もっと世界を見た方がいいんじゃないですか。フランスの雑誌『シャルリー・エブド』が、イスラム原理主義を揶揄した風刺画を掲載したことで、編集長や漫画家、コラムニストなど12人が射殺された事件がありましたよね?

いくら自分が正義だと信じていても、別の誰かの正義を踏みにじれば、その人たちに殺されることもあるのは、グローバルでは当たり前なんですよ。リベラルの正義だけが守られるべき、なんてことはありえない。これは脅しではなく、避けられない原理なんです。

――となると、やはり顰蹙を買うような美術展はやめた方がいいということですか。

話を分かりやすくするために、いまの仕事の現状と切り離して原理原則について言うと、「顰蹙を呼ぶような表現が社会を変えていく」ことは、間違いないんです。そういうものでしか、社会は変わらない。

ただしそれは、逆に言うと、社会を変える表現をしようと思えば、顰蹙を買うことは当たり前のことであり、社会を変えていきたいのなら、顰蹙を恐れずにやるしかない、と言えると思うのです。

語弊がありますが、爆竹ごときで「暴力だ!」と叫ぶなんて、『シャルリー・エブド』に笑われますよ。どなたかもネットで書いていましたが、送られてきた爆竹が実在するなら、それも展示品に加えるくらいのタフさが必要でしょう。今回はわざわざ名古屋市が所管する市民ギャラリーを借りているので、無理でしょうけど。

「表現の自由」というテーマは非常に重いもので、簡単に語り尽くせるものではありません。憲法に記されているからといって、無条件に許容されるものでもない。共同体の文化によっても歴史的経緯によっても変わるもので、ひとつの正解があるものではないし、海外の状況をダイレクトに輸入できるものでもありません。

私たちの社会でこれをどう実現していくか、一歩ずつ進めていくべきテーマなのです。だからこそ、中途半端な党派的な政治活動に挑発されて、不毛な騒動になっていることが耐え難いのです。

学芸員でなくてもキュレーションができる「二重性」

――話を戻しますと、先ほど「美術界の脇の甘さ」とおっしゃいましたが、あれはどういう意味なんでしょうか。

Aさん:例えば、アイドルが「一日警察署長」を務めることはありますが、彼女たちが実際に警察署長として権限を行使することはありえないですよね。しかし、美術界ではそういうことが起こりえます。

さすがに公立の常設美術館では、そういうことはありませんが、「あいちトリエンナーレ」のようなスポットの美術展では、大きな権限が与えられてしまったわけです。これは「キュレーター」の二重性という隙間があったからかもしれません。

――二重性とは、どういうことなのでしょうか。

Aさん:私は学芸員という国家資格をもって仕事をしていますが、大きくふたつのことをしています。ひとつは収集品の保存管理や研究に関する仕事で、博物館を設置するためには学芸員を置かなければならない、といった性質の専門性の高いものです。

もうひとつが、美術展の企画、いわゆる「キュレーション」です。基本的には、収集品の展示普及という名目で、ときには他の館から作品を借りてきたりしながら、独自のテーマに沿った展示を行います。

日本では学芸員がキュレーターを行うことが多く、両者が混同されていることもありますが、実はキュレーションは学芸員の資格がなくてもできます。そこに隙間があるのです。

――通常は専門性をもった職の方が美術展の企画をしているけれども、そうでない人でも企画できてしまうということですね。

Aさん:そのこと自体が悪いとはいいませんが、それなりの規模で行われる美術展には、見識のある方が就任するのが常識です。あいちトリエンナーレの初代芸術監督は国立美術館館長を務めた建畠晢先生で、その後も専門的知見のある方々が就任しています。

津田さんの場合も、芸術監督という肩書で、別にいたキュレーターより大きな権限を持っていたと報じられています。アドバイザーどまりならよかったのかもしれませんが、強大な権限を持たせる職には、それなりの方を就けなければいけなかった、少なくとも党派的な政治性が入り込む余地を許すべきではなかったんだろうと思います。

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