カズレーザー「パイナップルですよ」現代アートの境界線とバラエティ
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カズレーザー「だから、パイナップルですよ」
12日の放送では、現代アートに価値が生まれる3大要素の2つ目と3つ目が解説された。2つ目の要素は、作品の歴史。作品の背後にはストーリーがある。
たとえば、先ほどの3つの写真のうちの3つ目、美術館の壁に市販のテープでバナナを貼り付けた作品は立派な現代アート。高額の値段がついてやり取りされていたりする。なぜただのバナナがアートになるかというと、それはこの作者が現代アート市場を皮肉る挑戦的な問題作を作ってきたという文脈があるから。過去に作者は、現代アートで金を儲けるギャラリーのオーナーをテープで壁に貼り付けた作品などを発表してきた。その延長線上にある本作は、美術館にただのバナナを貼り付けるだけの作品に高値がつくアート市場を皮肉るものだと解釈できる、と番組では説明された。
なお、ハライチの澤部がこのバナナの作品について、アンディ・ウォーホルによるバナナの絵をふまえたものではないか、「ウォーホルを捉えた」という意味があるのではないかと解釈していた。この発言、「それっぽいことを言っている」みたいな感じで番組内ではネタにされていたけれど、同作品の参照先のひとつがウォーホルではないかとの解釈は、今回の番組監修を務めた小崎教授の著書(『現代アートを殺さないために』河出書房新社、2020年)でも示されている。専門家のお墨付きがあれば正しいわけでもないのだろうけれど、いずれにせよ、番組内で語られた澤部のいくつかの作品解釈は聞いていて面白かった。
現代アートの3つ目の要素は、視点を変えればさまざまな解釈ができるということ。ひとつの作品から複数の意味が読み取れるのが、現代アートだという。草間彌生の水玉作品も、一方で作者が幼少期から悩まされてきた幻覚の象徴であるとの見方がある。他方で、水玉は一つひとつが生命の象徴との見方もある。さらには、性の象徴との見方もある。作者はひとつの作品に複数のレイヤーを重ねている。そのレイヤーをいかに読み取り、どのような意味を汲み取るか。鑑賞者がその解釈を語り合うこと、議論を楽しむことも現代アートの楽しみ方だという。
「作品のインパクトを感じて、背景を知って、自由な解釈を議論する。その結果、自分の中に生まれる心の動きを楽しむ。これが現代アート」
授業のまとめとして、カズレーザーは上のように締めた。そもそも現代アートとは何か。どう見て、どう楽しめばよいのか。一般にあまり知られていないからこそ“騒動”ばかりにニュースバリューが出てしまう、そんな現代アートの世界の入口に立たせてくれるような両番組だった。
――が、番組はこれでは終わらない。番組の最終盤、ゲストの告知のタイミングで、この日のゲストであるインスタグラマーの亀井佳代が語り始める。
「お知らせがあります。みなさん、私のことタレントだと思ってると思うんですが、実は、ただの会社員です」
話題のインスタグラマーとして生徒席に座っていた彼女は、実はただの会社員。番組ADの友だちで、名前も仮名(亀井佳代=仮名かよ)だった。カズが言う。
「ここに座ってるだけでみなさん、タレントさんだと思ってましたよね。だから、パイナップルですよ」
振り返れば、今回の授業の始め、彼女が「体のホクロを目に見立ててペンギンを描いて遊んでいたら、布団にそれが写ってペンギンだらけになった」とエピソードを話すと、ノブコブ・吉村が「絶対ウソでしょ、その話」とツッコんでいた。が、ウソはさらに根本的なところに仕組まれていた。ケースに収められたパイナップルがいたずらだったように、テレビのフレームに収められた女性もフェイクだった。
これまでも『しくじり先生』は、他の番組ではあまり見かけない雑誌モデルやインスタグラマーなどをゲストに多く起用してきた。その歴史的な文脈をフリにしたインパクト。芸能人と一般人の境界線がますます曖昧になってきた現状への皮肉や、編集を通せば誰でもタレントとして成立してしまうテレビというメディアの性格の暴露など、さまざまに読み解ける多層性を備えているといっていいかもしれない――と、それっぽい解釈を誰かに話したくなる。
とてもキレイな現代アート的なオチだった。
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