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謎の自殺から8年、宇多田ヒカルの母・藤圭子さんが全盛期に語っていた“恨み節”

藤圭子(藤圭子 ベスト DQCL-2101より

 “平成の歌姫”ことシンガーソングライターの宇多田ヒカル。去る6月27日、自身の新曲を提供したアニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』総監督の庵野秀明氏とインスタライブを行ってファンを喜ばせたが、その後、公開されたアーカイブの中で、2013年8月に他界した母で歌手の藤圭子(本名・宇多田純子)さんへの思いを語ったことで、改めてその死の背景に注目が集まっている。

 「庵野監督は宇多田のインスタライブ『ヒカルパイセンに聞け!』にゲスト出演したのですが、そのなかで、幼い頃に母親を亡くしたフォロワーから“再会がかなわない人への思いをどう断ち切るか助言してほしい”と質問された宇多田が、自身も、母の死からどうやったら前に進めるか模索し続けてきたと語っていたのです」(芸能ライター)

 藤さんが亡くなったのは2013年8月。新宿区内の自宅マンションからの飛び降り自殺だった。現場に遺書はなかった。

 日本を代表する小説家・五木寛之氏は、藤さんについて、「1970年のデビューアルバムを聞いたときの衝撃は忘れがたい。これは『演歌』でも『艶歌』でもなく、間違いなく『怨歌』だと感じた」と評しているが、まさに藤さんの生涯は“怨歌”そのものだった。

 1969年9月25日、RCAレコードから「新宿の女」でデビューした藤さんだったが、デビューまでの道のりは順風満帆ではなかった。

「岩手県一関市出身の藤は、幼い頃から浪曲師の父と、同じく浪曲師で曲師でもあった母親のドサ回りに同行。自らも歌いながら旅生活を続けるなかで、北海道の中学を卒業しました。その後、家が貧しかったことから、高校進学を断念し、歌手を目指して上京したんです」(元マネジャー)

 生活のため、目の不自由な母親と共に錦糸町や浅草などを流しをするなか、作詞家の石坂まさをさんと出会い、1969年、『新宿の女』でデビュー。この曲の♪バカだな バカだな 騙されちゃって♪というフレーズが、全共闘世代だった若者たちの共感を呼び大ヒット。筆者もその一人だった。

「『新宿の女』に続いて、翌70年に出した『圭子の夢は夜ひらく』も大ヒットとなり、その年の音楽祭の賞を総なめにしました。プライベートでは、71年に『内山田洋とクール・ファイブ』のボーカルだった前川清と電撃結婚。しかし、1年足らずで離婚しました。当時の関係者は、“藤がまだ大人の女になりきっておらず、そのため夫婦生活がうまくいかなかった”と話していました」(元夕刊紙記者)

 その後、79年に突然、芸能界からの引退を発表して、渡米。藤さんは、恩師である石坂さんに「アメリカ人になりたかった」と語っていたという。
 
 しかし、藤さんはわずか2年で帰国。歌手復帰を果たした。その時、筆者は夕刊紙に“身勝手な復帰”という記事を執筆したのだが、それが気に入らないと、藤さんの所属事務所からクレームが入った。

 しかも、藤さんが直接、筆者と話したいというので、筆者は藤さんの営業先だった立川市のキャバレーに出向き、ステージが終わるのを待った。

 いざ話が始まると、藤さんは、芸能界への恨みつらみを延々と語った。そこで語られたのは、恩師である石坂さんから金銭面でも労働面でも過酷な働きを強いられ、それから逃がれるために引退した、という趣旨の話だった。ちなみに、その石坂さんは、彼女が亡くなる約5カ月前に亡くなったため、真偽は定かではない。

 その後、藤さんは、復帰の翌年の82年、アメリカ滞在中に知り合った宇多田照實さんと再婚。2人の間に長女であるヒカルが誕生した。夫婦は、成長したヒカルを共にバックアップ。ヒカルは全米デビューを果たすと共に、1stアルバム『First Love』は日本国内のアルバムセールス歴代1位を記録した。

「その直後に、藤と宇多田さんが離婚。その後も再婚、離婚を繰り返していたのですが、07年に完全に離婚しました。その離婚直前の06年には、藤がケネディ国際空港で所持していた42万ドルを没収されるトラブルが発覚。藤はデビュー時に麻雀を覚え、それ以来、時間があれば麻雀に明け暮れる、無類のギャンブル好きだったんです。その金も、ラスベガスのカジノで使う予定だったそうで、09年に全額返却されたのですが、それ以降、消息不明になっていました」(知人の音楽関係者)

 アメリカから日本に帰国しているとの情報もあったが、藤さんは業界関係者との連絡を一切断っていたため、その居場所は分からずじまいだった。 「13年3月、重度の緑内障を患わっていた石坂さんが亡くなりました。関係者は、藤さんが恩師の葬儀の場に現れるのではないかと持ち構えていたのですが、結局姿を見せることはありませんでした」(スポーツ紙記者)

 石坂さんの死から約5カ月後の8月22日未明、消息不明だった藤さんが新宿区内の自宅マンションから飛び降り自殺。現場に遺書がなかったことから、親族間でトラブルに発展した。

「宇多田は、父・照實さんの名誉を守るため、“遺書はなかったが、遺言書はあった”“(両親は)夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした”とコメント。トラブルを収拾しました。どうやら自殺する約8カ月前に書いた遺言書があったようなのですが、約8カ月も前のものですからね。なぜ自殺に至ったのか、未だに謎ですよ」(前出の芸能ライター)

 藤さんが亡くなって、8月22日で8年が経過する。演歌ではなく“怨歌”を歌い続けた藤さん。かつて取材したことのある筆者としては、藤さんが芸能界への恨みつらみを語っていただけに、その死の本当の背景を知りたいと思っている。

本多圭(ジャーナリスト)

芸能取材歴40年以上、タブー知らずのベテランジャーナリスト。主な著書に『 スキャンダルにまみれた芸能界のトンデモない奴ら』など。

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最終更新:2021/07/21 19:21
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