トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 〈SHAKKAZOMBIE〉の “OSUMI”追悼座談会
トリビュートEP『BIG-O DA ULTIMATE』リリース

「OSUMIは怒るだろうな」 ヒップホップ史に名を刻む〈SHAKKAZOMBIE〉の “OSUMI”追悼座談会

後続の“超”お手本を作り上げたSHAKKAZOMBIEの構成力

「OSUMIは怒るだろうな」 ヒップホップ史に名を刻む〈SHAKKAZOMBIE〉の OSUMI追悼座談会の画像3

――HAZIMEさんがアドバイザーを務めたのは、長年SHAKKAZOMBIEのライブDJを担当し、公私共にメンバーとは旧知の仲であるからだと思いますが、そもそもどんなつながりだったのでしょうか?

H もう25年来の付き合いになるけど、当時俺は渋谷原宿界隈で仕事をしてたのね。まだ目立つ存在だったわけでもないそんな時代に、HIDEくんがヒョイッと引っ張り上げてくれた。そこでポロッと言ったの、「ライブDJを探してる」って。もちろん、「やりますやります! やりたいです!」って返事したよね。

I  HAZIMEはもうDJをやってたから、僕らがSHAKKAZOMBIEとしてHAZIMEのイベントに出演させてもらったときに連絡先を交換してたんだよね。その後、OSUMIと「ライブDJ、HAZIMEいいんじゃないかな?」って話をして。で、電話したの、「ライブDJをやってほしい」って。そしたら「ちょっと考えさせてください」って言われた。

H いや、「考えさせてください」なんて言ってないから!(笑) ただ、TSUTCHIEくんのポジションもあるし、周囲のことも考えて、「やりますやります! やりたいです! ……けど、一旦持ち帰らせてください」って答えたんですよ。実際に近しい人たちから「TSUTCHIEのポジション、奪うわけ?」とか言われたし。だからこその一旦持ち帰りです。

I 『さんピンCAMP』が終わったくらいの時期だったから、HAZIMEが20歳くらいのときかな。

H なので、俺とSHAKKAZOMBIEの関係はそんな感じからスタート。SHAKKAZOMBIEという乗り物に乗せてもらったおかげで、とにかくいろんな人と出会うことができました。ライブDJをやらなくなってからも、その時代に仕事をした人と今でも仕事ができてるからね。恩人、恩師のような存在ですよ。OSUMIくんもだけど、こうした気持ちになるとき、真っ先に頭に浮かぶのが、HIDEくん。いつも。

I OSUMIの座談会だけど、今のは太字でよろしくね。

S 俺もヒデオくん(HIDE-BOWIE)いなかったらデモテープとか作らなかっただろうな。

I 初めて見たChannel 5(※DABO/SUIKEN/K-BOMB/DJ HAZIMEのヒップホップユニット)のライブがよすぎて、かつSUIKENの勢いが凄まじくて、「デモテープないの? ないなら急いで作れ!」って言ったんだよ。で、デモテープを作らせて、当時ECDに渡したりしたよね。

S 龍宮で働いてたときに今ちゃん(DEV LARGE)とも会えたわけだし。SHAKKAZOMBIEがいなかったら……って思うと、本当に恩人。

H SHAKKAZOMBIEの3人は本当に優しい先輩で、甘い汁だけじゃなく音楽のノウハウもしっかり教えてくれたんだよね。成功している先輩を間近で見られていたからこそ、ニトロはうまくいったんだと思う。

D SHAKKAZOMBIEの「フルアルバムをしっかり作る」って動きは、本当にデカかったなー。そもそもニトロの面々はKRUSH POSSE、MICROPHONE PAGER、雷(家族)のヘッズで知り合ったようなもんだから、彼らがスターなのは間違いないんだけど、フルアルバムの美学を教えてくれたのはSHAKKAZOMBIEなんだよね。アルバムを作って12インチを切って、PVが公開されて、クラブをサーキットで回って、グッズを作って大都市でワンマンを開催。これで1周。超お手本になったもん。あと、90年代のヒップホップって、サビはスクラッチネタだったりしたけど、シャカの楽曲の構成力はすごかった。

I 楽曲の構成は全部OSUMIだね。改めてTSUTCHIEとも話してたんだけど、SHAKKAZOMBIEの側を作ったのは全部OSUMIなんだよね。僕なんか何もやってないから。エッセンスとノリ一発。もしかしたらその感覚と、OSUMIの緻密に作り込まれた感覚のバランスがよかったのかもしれないね、SHAKKAZOMBIEは。そもそも僕はバンドマンで、ラップを始めたのもOSUMIと出会ってからだったし、そういう意味では友達でもあり先生。つまり、僕を作ってくれたのはOSUMIなんだよね。“IGNITION MAN”って名前を考えてくれたのもOSUMIだし。

「OSUMIは怒るだろうな」 ヒップホップ史に名を刻む〈SHAKKAZOMBIE〉の OSUMI追悼座談会の画像4

H OSUMIくんはこだわりが強かったもんね。

S 曲の構成もそうだけど、リリックもすごいよ。リリックを書いてる紙にキックとスネアの場所も記入してた。あんなの初めて見たもん。

I キックに×を付けて、スネアには黒い丸を付ける。それがSHAKKAZOMBIE方式だからね。OSUMIから教わって今でもやっちゃうんだけど、それを見れば頭の中でフロウを作りやすい。複数の曲を同時進行でレコーディングしたりすると、途中でどんなフロウだったか忘れちゃったりするからさ。

123
ページ上部へ戻る

配給映画