2軍でくすぶる清宮幸太郎 後悔してももう遅い「二刀流だったら…」の声
#日本ハム #清宮幸太郎
現在、全国各地で夏の甲子園の予選が行われてるが、ほんの数年前、甲子園を沸かせた“怪物が”2軍でもがき苦しんでいる。名門・早稲田実業で1年からレギュラーを掴み、ドラフト1位で日本ハムに入団した清宮幸太郎だ。プロ4年目にして完全に迷路に入り込んだ彼は、選ぶ道を間違ったのかもしれない。
高校1年生にして、甲子園の大観衆の前で2本のホームランを放ち、ドラフト会議では7球団から1位指名を受けた清宮。プロでは1年目から7本塁打を打ち、前途は洋々かと思われたが、以降は伸び悩んでいる。昨年はついに打率が2割を切り(0.190)、4年目の今季は1軍出場ゼロ(7月16日時点)。2軍の打率も0.205とさっぱり振るわず、すっかり“過去の人”となってしまった。
「昨年までは、栗山監督も我慢して清宮を1軍に置いていましたが、今年は1軍出場ゼロ。1軍では5月にコロナ感染者が出ましたが、それでも清宮には声が掛かりませんでした。彼の最大の売りは打撃ですが、打率が2割ちょっとで、4打席に1回は三振するようでは話になりません。
足も早くない上、守れるのはファーストだけ。しかも守備は非常にお粗末で、2軍戦でもDHでの出場が多くなっています。もし1軍に上げても、ファーストには中田翔、DHには近藤健介という不動のレギュラーがおり、使う場所がありません」(週刊誌運動部編集者)
清宮はまだ4年目の22才。荒削りとはいえ、通算21本の本塁打を放っており、“プロ失格”の烙印を押すのは気が早すぎる。ただ、彼には別の道を進む選択肢もあった。清宮の父親は、早稲田大学やヤマハで監督を務め、日本ラグビーフットボール協会の現・副会長の清宮克幸氏。今でこそ「清宮パパ」と呼ばれる克幸氏だが、幼少期の“清宮ジュニア”はラグビー界では有名人だった。
「幸太郎はお父さんの影響で幼稚園時代からラグビーをやっており、年上の子とプレーしても全く相手にならないほど、その才能は飛び抜けていました。とにかく体が大きく、ボールを蹴っても誰よりも飛ぶので、将来を嘱望されていましたが、小学4年生の時、悩んだ末に野球を選んだといいます。野球を選んだ幸太郎に対し、克幸氏が『野球がダメだったらラグビーをやらせるからな』と言ったという話は、ラグビー関係者の間では有名です」(豊富なラグビー取材経験を持つフリー記者)
それでしっかり甲子園出場を果たし、ドラフト1位でプロ入りしたのだから、選択は間違っていなかったはずだが、日米のスポーツ事情に通じるスポーツジャーナリストはいう。
「類まれなる才能を持ちながら、野球とラグビーのどちらかを選ばなくてはいけなかったのが、日本の少年スポーツの悲劇です。アメリカでは、高校まで複数のスポーツを掛け持ちし、複数のメジャースポーツからドラフト指名された例はいくらでもあり、2つの競技でプロになった選手も何人もいます。両方で成功した例もあります。野球とラグビーはシーズンがズレており、掛け持ちは可能。日本は“どちらもおろそかになる”という発想ですが、アメリカは“可能性が増える”という考え方なのです。
複数のスポーツをやることで、鍛えにくい部分を鍛えられたり、異なる体の動きを身につけられたり出来るのに、そのチャンスをみすみす失ってしまった。日本のスポーツ界にとって本当に大きな損失です」(スポーツジャーナリスト)
日米のどちらのやり方が正解なのかは難しい問題だが、やりたいことをやらせてあげる方が理に適っているようには思える。もしラグビーを選んでいたらどこまで行けたのか?
「W杯で注目度が高まるラグビーですが、日本代表は高校からラグビーを始めた選手が多い。プレー人数が多いラグビーは戦術理解が重要で、ルールも複雑なので、清宮のように“幼稚園から始めた”というのは極めて大きなアドバンテージです。その上、彼は体も大きいので(甲子園出場時に184cm101kg)、高校レベルでは無双状態でしょう。競技人口が多い野球であれだけの結果が残せる運動能力があるので、早実から早稲田大学に進んでもレギュラーは取れたはずです。
克幸氏は、息子のために自宅の地下に打撃練習場を作りましたが、本業のラグビーなら“名将・清宮”の指導をマンツーマンで心ゆくまで受けられます。ラグビーの層の薄さまで考えれば、父が袖を通すことは叶わなかった『日本代表ジャージ』まで届いたかもしれませんね」(前出・フリー記者)
スポーツに「たられば」は禁物だが、清宮が“二刀流だったら”という妄想は尽きない。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事