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日刊サイゾー トップ  > 渋沢栄一が欧州巡遊で悩まされた財政問題

渋沢栄一の洋装は合理的な判断!?  財政問題に悩まされた徳川昭武一行の欧州巡遊

イギリス側のスパイであるアレクサンダー・シーボルトの目論見

渋沢栄一の洋装は合理的な判断!?  財政問題に悩まされた徳川昭武一行の欧州巡遊の画像2
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(左)とアレクサンダー・フォン・シーボルト(右)

 ドラマの栄一は、近代フランスのすごさに感動を隠しませんが、徳川昭武一行の護衛を担う水戸藩士たちは逆に意固地さを強め、絶対にフランス流には従わない、という動きを見せました。これは史実でもそうで、昭武の護衛どころか、彼の社交の妨げになる始末だったのです。

 徳川慶喜は、弟・昭武にフランス・パリを拠点にヨーロッパ各国を訪問して、知見を得るようにと言っていました。ところが昭武一行の経済状況は非常に悪化したままで、ヨーロッパの旅に使える十分な資金は残されていなかったので、経理担当者の渋沢は邪魔にしかならない水戸藩士たちを日本に帰国させ、旅行の経費を抑えようとしました。

 しかし、水戸藩士らは渋沢の提案を断固拒絶します。長い押し問答の結果、「旅行時の昭武の護衛は交代で3人ずつ勤めることにする」と決まりましたが、最初の昭武の歴訪国であるスイスへの旅でも、護衛が4人も同行していました。

 結局、水戸藩士たちもヨーロッパでの物珍しい生活が本心では楽しかったのではないでしょうか。テコでも帰国したがらない水戸藩士の代わりに、杉浦愛蔵(志尊淳さん)ら二人が「経済問題の行き詰まりを相談する」という名目で、帰国するハメにもなりましたが。

 ヨーロッパ旅行時においてももちろん、昭武のそばにはイギリス側のスパイであるアレクサンダー・フォン・シーボルトが常に同行していました。名前からもわかるように、彼は貴族の生まれです。

 徳川慶喜がナポレオン三世から贈られた西洋風の軍服を着ていたように、フランスと幕府の関係は親密でした。フランスと植民地獲得で争い合うイギリスとしては、これは面白くない事実です。それゆえ、イギリスはフランスと幕府の仲を引き裂こうと、シーボルトをスパイとして雇っていたのでした。

 シーボルトの日本人懐柔テクニックは素晴らしいものでした。彼の父で長崎に医師として滞在していたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、日本から強制送還された後も、日本を慕い、オランダのライデンに日本風庭園を持つ別荘を作らせていました(後に一家はオランダからドイツに移住)。アレクサンダーは、昭武ら一行のオランダ訪問時を狙って、わざわざ亡父の別荘に彼らを連れていくことに成功しています。一行はシーボルトの日本庭園で遠い故郷に想いを馳せ、両者の信頼関係はいっそう深まりました。

 しかし、昭武一行にイギリスという国に親しんでもらうという最大の目的だけは、いかに日本人たちから慕われ、フランス人の悪口を昭武がポロッと漏らすのを聞くまでになっていたアレクサンダーにも果たすことはできませんでした。産業革命まっさかりのロンドンに滞在した昭武一行ですが、その街並の汚さ、ドロだらけの道路、空気の悪さに閉口し、用事がなければ滞在先のホテルから出ようともせず、むしろフランスに帰りたがったからです。

 それでもアレクサンダー・シーボルトと日本の縁は途切れることなく、明治維新後に再来日、今度は明治新政府の役人として活動しています。薩摩藩が雇ったモンブラン伯もたいがいでしたが、アレクサンダーもカネと立身出世のためであればなんでもやっていたあたり、名誉を守るだけでは生きていけなくなっていた当時のヨーロッパ貴族のふてぶてしさ、たくましさを感じてしまいます。

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堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 11:46
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