乃木坂46の「世代交代」を前提とする議論に異議あり! 「卒業」のモデルを絶対視しなくてもいい理由
#アイドル #世代交代
「卒業」のモデルを絶対視しなくてもいい
──あらためて「世代交代」の話に戻ると、「世代交代」とは、ともすればメンバーが“代替”可能であるようなイメージもついてまわるのかもしれません。
香月:たとえば、乃木坂46の楽曲には、オリジナルメンバーの全員あるいはほとんどがグループを卒業しているものもありますが、オリジナルではないメンバーがその楽曲を歌って踊ることで、そのメンバー固有の文脈やパフォーマンスになるし、解釈もなされる。単に誰でもいいというような意味の“代替”とは違うだろうと思うんです。また、オリジナル発表時から時間がたっていれば、その時点での社会に対して表現することになるので、意味合いも変わってくるでしょう。以前よりもメッセージがアクチュアルになる作品もあるでしょうし、逆に今は認識できていないけれども、積極的に発信しないほうがいいメッセージが浮かび上がってくることもあるはず。それは随時、ファンの間でも問い直されてよいと思います。
──メンバーが変わることで再解釈されるという視点は大事ですね。
香月:もっとも、現状はある程度のキャリアを経てメンバーが卒業していくというモデルが当たり前になっていますが、その循環は絶対視しなくてもよいと思います。先に話したように、2010年代以降はアイドルグループに10年単位で所属することが珍しくなくなっていった。それだけでも、アイドルというジャンルの慣習や価値観に小さくない変化が起きているわけです。ならば、一定期間ののち卒業という形だけでなく、グループに在籍し続けながら個人としてのキャリアを築くスタイルも、近い未来にはもっと現実的になるかもしれない。これについては、我々の想像力がまだ追いついていないだけかもしれないですよね。
──グループからの「卒業」こそが次のステップと思われがちですけど、それだけではないということですよね。グループに在籍しながら、そのまま女優などそれぞれのキャリアを積んでいってもいい。
香月:もちろん、逆にアイドルをやめる選択についても然りだと思います。さまざまに期待が投影される存在であるだけに、やめるにあたっても「こういう道に進みたいから卒業します」といった、前向きな理由が期待されたりもする。そうじゃなくて、ただ単にアイドルじゃなくなるという選択もまた、ごくフラットに受け止められるといいなという気がします。アイドルとしての日々を終えて以降も変わらず地続きに人生は続いていくわけですし、人生のどの過程にいようとも、そのいとなみが等しく尊いことに変わりはないですからね。
──やっぱり、ファンはアイドルに理想を投影して期待をしてしまう。ある程度は仕方のないことなのかもしれませんが、メンバーたちのことを思うと本当に難しいところです。
香月:どこまでも生身の人格に対して何かを投影するエンターテインメントを見ている以上、受け手の側としては常に自分の受容の仕方を疑うくらいでいいんだろうなと思いますね。
香月孝史(かつき・たかし)
1980年生まれ。アイドルカルチャーほかポピュラー文化を中心にライティング・批評を手がける。著書『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』『「アイドル」の読み方 混乱する「語り」を問う』(ともに青弓社)、共著『社会学用語図鑑』(プレジデント社)など。
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