「恋愛禁止」「卒業制度」はもう古い! アイドル界のルールをフェミニズム的に読み解けば【研究者・高橋幸さんインタビュー】
#アイドル #フェミニズム
アイドルブームに沸いて久しい日本。ですが、アイドルといえばいまだに「性を商品化」した存在の象徴であるという印象も残っています。同じ人間であるはずのアイドルたちを取り巻く業界の慣習に、いちファンとしてモヤモヤを覚えてしまうことはないでしょうか。
前半では、アイドルが主体的になるため、ファンが安心して推しを推すための手助けとなるフェミニズムの知識を、武蔵大学非常勤講師の高橋幸(たかはし・ゆき)さんに伺いました。
さて、現在のアイドル業界には、どんな問題があり、どのように改善していけばよいのか。アイドルをめぐるフェミニズムの言葉はまだまだ続きます。
前編:ハロプロもAKBも地下ドルも…アイドルとフェミニズムは矛盾しない! “主体的”なアイドルであることの尊さ【研究者・高橋幸さんインタビュー】
時代錯誤なアイドルの2大ルール
高橋:今の日本のアイドル文化は成熟を迎えていて、生まれたときからどっぷりアイドル文化の中で育ってきた子たちが、「今度は自分も」という形で、理想のアイドルになることを目指し、その思いをファンが支え、それを見てさらに小さな子どもたちがアイドルに憧れる……という、これぞまさに「文化」という良い状況になっていますよね。
だからこそ、私が理解しているフェミニズムの原理から考えると、どうしても肯定することができないアイドル文化のルールが、二つあります。それについて、お伝えしてもよいですか?
──ぜひ教えてください。
高橋:一つ目は「恋愛禁止ルール」に関するものです。
──「恋愛禁止ルール」といえば、昨年、元・Juice=Juiceの高木紗友希さんが熱愛発覚により脱退(後に所属事務所退所)した際は、ファンの間でもさまざまな意見が飛び交いました。ハロプロは恋愛禁止を明言していませんが、結果そういう思考であると解釈できてしまう。同じハロプロの小田さくらさんがブログで綴った、「女の子そのものではなく、パフォーマンスを武器にしたい」という願いには、切実なものがありました。
高橋:はい、私も心を痛めながら見ていました。モデルや女優の「熱愛発覚」は当然のものとして受け止められるのに、アイドルは禁止されていることが多い。小田さんはそこに、アイドルの「地位の低さ」のようなものを感じとってしまったのではないかと思われます。アイドルはパフォーマンスで評価されているのではないというような思いを、持たせられてしまったということだったのではないかと思います。
そもそも個人の最も自由な領域に属する「恋愛」を、商業的・ビジネス的な理由で禁止するということは、労働者に対する不当な制約であり、人権侵害のおそれすらあります。
少し丁寧に考えてみたいのですが、私たちファンがアイドルに対して持っている強い感情が、恋愛にかなり近いことは確かです。アイドル文化って、その人の「パーソナリティ」を享受するようなところがあるんですよね。「この人は世界をどんなふうに見ていて、何に喜びを感じ、何を悲しいと思い、今この瞬間をどんな気分で過ごしているんだろう」というような、その人のパーソナルな(個人的な)部分のことが知りたくなるわけです。そして、現代のメディア環境ではそれがけっこう分かってしまうから、さらに深みにはまっていく……。
他人に対するこういう興味関心の持ち方って、これまでの社会では基本、恋愛関係やすごく近い親友などにおいてしか発生しなかったものです。だから、「『アイドルはみんなの恋人である』がゆえに、特定のリアルな恋人を作ることはファンへの裏切りだ」という理解が成り立ってきていた。
しかし、私たちがアイドルに向けている感情のなかには色々なものが含まれています。アイドルが自分の理想像や自己同一化の対象になっている人は、自己愛と入り混じった形で「推し」を愛しています。これはジェンダーを問わず起こっていることです。また、アイドルが純粋な憧れや崇拝の対象になっている人にとって、アイドルはもはや恋愛感情や性欲の対象ではありえません。女性ファン層が一定の厚みを持って現れていることを踏まえても、アイドルファンの感情は、多様なものになってきていると捉えるべきでしょう。
このようなアイドルファンの多様化と成熟を考えると、もはや恋愛禁止ルールなしでも、アイドル文化は成り立つものになってきているのではないでしょうか。
──韓国のアイドルなどは、パフォーマンスを磨くことに集中すべき駆け出しの期間だけ恋愛禁止にするなど、期間を設けているグループもあります。日本でも、新潟のご当地アイドルNegiccoは、結婚してもアイドルグループとしての活動を続けていますよね。
高橋:恋愛禁止ルールを解除していけるグループから、「恋愛をしても、しなくてもOK」の原則を実現してほしいと、切に願います。もちろん、そのなかで、個々のアイドルが「私は恋愛しません」と宣言するということは、差別化戦略の一つとして残るとは思いますが。
重要なのは、恋愛するかしないかに関して、アイドル本人が選べる状態であること。今はまだ、アイドルになりたければ、恋愛は禁止だというのがセットになってしまっていて、そのような状況はやはり問題だと思っています。
──「恋愛禁止ルールの廃止」と、もう一つの提案もおうかがいできますか。
高橋:もう一つは、「卒業制度」です。女性が20代中盤になったら辞めなければならないという慣行は、「寿退社(結婚を機に退職すること)」を促されていた40年前の日本社会の名残なのでしょうか?
歌やダンスの技術はどんどん上達していくのに、一定の年齢で「辞める」ことが最初から決まっているというのは、少なくとも現代社会においてはおかしな制度のように思えます。バンドやアーティストであれば、「解散」や「活動休止」はあっても、最初から終わりが見えている「卒業」はデフォルトではない。
それに対して、アイドルは年齢が上がるほどいじられ、卒業し、そこでアイデンティティが否応なく断絶させられる。このような制度がまだ残っていること自体が、アイドル文化とは、「女の子」の「若さ・未熟さ」を消費するシステムであると解釈する余地を与えてしまいます。
──つんく♂さんがご自身のnoteで、モーニング娘。21’リーダーの譜久村聖さんと対談した際に、彼女に「40歳でモーニング娘。もアリ。結婚して、産休に入って帰ってくるとか。自由な発想で自分のやりたいことをやって卒業するのも、ええやん」とおっしゃっていました。
高橋:おぉ、それはすごい。アイドルが、恋愛をし産休・育休を取りながら続けていける職業になれば、長期スパンでの将来設計ができますよね。そうなると、歌やダンスにもより熱心に取り組めると思いますし、思いもよらなかった新たなアイドルの可能性が開けてきそうです。
それから、元アイドルやアイドル文化に詳しい女性ファンには、ぜひともアイドルをプロモーションするといった運営側にもガンガン進出していただきたいと思っています。アイドル業界における女性の実力者が増えていくことで、業界の文化も変わっていくのではないかと予想されるからです。例えば、全米規模で行われる有名なミスコンの一つに「ミス・アメリカ」があるのですが、#MeToo以降、その主催団体の取締役会に元ミスの女性たちが数人、入りました。それによって、「ミス・アメリカ」からビキニ審査がなくなるという衝撃的な制度改革がなされています。
「女の子」の売り出し方を決める権限をヘテロセクシャル(異性愛)の男性が牛耳っていることで、女性ファンのニーズをきちんと汲めずに収益機会を逃している可能性もあります。
──前編で話に挙がった和田彩花さんや横山由依さんのように、フェミニズムという言葉や意識を発信できるアイドルたちが現れてきている一方で、彼女たちを“ヒーロー”のように祭り上げて矢面に立たせてしまっていいのか、という葛藤もあります。
高橋:それは、本当に難しい問題ですよね。フェミニズムを支持し、発信する人が増えない限り、数少ない発信者は標的にされやすくなってしまいます。フェミニズム叩きをする人は、声を上げる人を集中的に攻撃することで「潰そう」とし、それによって、その後に続いたかもしれない人の芽をも摘んでいきます。
いまフェミニズムに関しては、こういう力学が働いている状態ですから、その人が言っていることは支持できるなと思ったら、意識的に賛同を示すようにして、バックアップしていくことが重要になってきます。
アイドルだって傷ついたことを認めてもいい、怒ってもいい
──「ポストフェミニズム」という観点だと、アイドルやファンの中でもフェミニズムに対して抵抗感を持っている人については、いかが思われますか?
高橋:フェミニズムに対する拒否感のようなものがあるとしたら、それはフェミニズムが、これまでの「常識」に疑いを差し挟むものだからでしょうか。それは、良くも悪くもやっぱりインパクトがあるので、強い支持者を生む一方で抵抗感も生むところはある。
私が最初にフェミニズムに出会ったのは高校生の頃で、その頃は「女性でも何でもできるんだ」と背中を押された気持ちになったのですが、大学生になり実生活で色々なことを経験しつつフェミニズムの本を読んでいたら、逆にすごくつらくなってしまった時期があって。
フェミニズムの考え方に触れると、これまでの社会の見方をどんどん疑っていくことになるので、社会への不信感を募らせたり、身近な人間関係のなかにも女性差別的なところがあることに気づいて悲しくなったり、女に生まれたことの絶望感を持ったりしました。
だから、フェミニズム的な話を聞くと、最初はびっくりして拒否反応が出る人もいるかもしれません。ですが、フェミニズムに近づいたり離れたりを繰り返していくなかで、自分なりのジェンダー観を、それぞれの人が確立していくことが重要だと思います。
フェミニズムは、私が経験していた日常の小さな傷つきに、言葉を与えてくれました。だから、私はフェミニズムに救われたなと思っています。「それは怒っていいんだよ、不当なことをされているんだよ、傷ついていいことなんだよ」という言葉を持てることは、自分が、自分の感覚を信じて生きていくための基盤になります。
──そして、そのフェミニズムは「女の子らしさ」の価値を否定しない、ということですよね。この点が今までのフェミニズムのイメージと少し違っていたので、今日は勉強になりました。でも、そうは言いつつも、アイドルに対する「かわいい女の子であることが取り柄」「無知であることも魅力」といった画一的なイメージは変わっていってほしいという願いもあります。
高橋:わかります。だからこそ、「女の子らしさ」の価値はポジティブに評価しつつ、同時にこれまでのアイドル観を作ってきた卒業ルールや恋愛禁止ルールといった制度を緩めていくことが、いま必要になってきていることなのではないかと思っています。
それから、世間が期待する「女の子」の役割をやり続けていると何より本人がつらくなってくるという側面があるということも、ここでぜひとも言っておきたいなと思います。
世間にある「理想の女の子」像というのは、「純粋さ」や「かわいさ」だけでなく、「従順さ」やある程度無知であること、男性に対して挑戦的でないこと、いつも笑顔でいることなどから成り立っています。「男の子」の役割には、ヤンチャであることや、ある程度反抗的であること、つまり自主独立の心意気を持っていることなどが含まれているのとは、対照的です。
したがって、世間の期待通りの「女の子」を演じ続けていると、周りの人の言うことに抵抗したり、「それはイヤだ」と意見主張したりする手段を奪われていきます。声をあげるというふるまい自体が許されなくなってくるし、自分でも「そういうことを言う自分」を想像できなくなってくる。これが、「女の子」らしさを演じ続けることの「罠」ですね。
理想の女の子を演じ続けているあいだは世間が「かわいいね、かわいいね」と褒めて持ち上げてくれますが、それによって「女の子」が無力化されている。これを、好意的性差別と言います。詳しくは、私が以前書かせていただいた文章(※注1)がありますので、気になった人はそちらも読んでみてください。
──高橋さんは、書籍『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』(晃洋書房)の中で、「自分が望んでいないような役割を他者から期待されたときには拒否してよいものであり、その要求が受け入れられるべきである。その原則によって『女らしさ』をめぐる自由を押し広げていく」(P194より一部抜粋)ことができるということを述べていました。これは、アイドルの場合にも当てはまるものだと思います。
高橋:はい、私もそう思います。アイドルが自由に自分らしさを追求して、輝いていることが、ファンの願いでもありますよね。フェミニズム的な視点を持ちつつアイドル文化をより良くしていこうとすることが、アイドル自身が楽しくアイドルをし、ファンが楽しく推しを応援する環境を守っていくことにつながるように思います。
──ありがとうございます。最後に、これまでフェミニズムに触れたことのないアイドル自身やファンに向けて、参考になる本を教えていただけないでしょうか。
高橋:これは少し「変化球」的な提案になるかもしれませんが、アイドルとフェミニズムというテーマだからこそ、ここでは『21世紀の恋愛』(花伝社)を挙げたいと思います。スウェーデンの漫画家でフェミニストのリーヴ・ストロームクヴィストによる、恋愛とは何かを徹底的に考察したオシャレ漫画です。「恋愛対象」として見られることが多いアイドル自身が、その視線をどのように捉えればいいのかを考える上で、役に立つのではないかと思いました。
あとは、ジェンダー一般に関心があるという方は、アイリス・ゴッドリーブ、野中モモ訳の『イラストで学ぶジェンダーのはなし』(フィルムアート社)も導入としておすすめの本です。
──男性ファンの中には、フェミニズムを支持しつつも、具体的にどのように考えたり行動したりしていったらいいのかわからない人も多いように思います。男性ファンにおすすめの本も教えていただけますか。
高橋:日常生活の中の「男らしさ」の問題性を、「男性ならでは」の視点でわかりやすく解説したものとして、恋バナ収集ユニット・桃山商事の清田隆之さんによる『よかれと思ってやったのに』(晶文社)があります。ささいな日常経験に潜むジェンダーの力学を、解像度の高い言葉でバシバシと説明してくれていますので、おすすめです。
(※注1)高橋幸, 2020, 「二〇一〇年代ファッショナブル・フェミニズムの到達点と今後の展望――ポストフェミニストと新しいフェミニストの対立を越えて」『現代思想 2020年3月臨時増刊号 総特集=フェミニズムの現在』青土社, pp.209 – 217.
高橋幸(たかはし・ゆき)
1983年宮城県生まれ。2014年東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程修了。現在、武蔵大学(他)非常勤講師。専門は社会学理論、ジェンダー理論。著書に『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』(晃洋書房)
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