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日刊サイゾー トップ > エンタメ > テレビ  > “生ぬるさの申し子”中山秀征のバラエティ史観

『あちこちオードリー』歴史の傍流? “生ぬるさの申し子”中山秀征のバラエティ史観

「あの当時からテレビのことをわかってたのはヒデちゃんだった」

 しかし、“松本的”ではないものが駆逐されていく中、“松本的”じゃなかった中山はスタイルを変えずに生き残った。その後、2009年に中山が司会を務めた帯番組『ラジかるッ』(日本テレビ系)が終了。この頃、中山の後輩であり今田とも仲の良かった元ザブングルの松尾陽介が、今田の口から意外な言葉を引き出している。

「(殿フェロの頃)ずっと、『“中山くん”じゃないよ。“ヒデちゃん”だよ』って言われたんだよなあ。今考えたら、あの当時からテレビのことをわかってたのはヒデちゃんだった。今の自分だったら理解できるけど、あの当時は全く理解できてなかったんだよ」

 スタイルを変えなかった中山と、自身のスタイルに疑問を持った今田。事実、『あちこちオードリー』出演時に今田は「あの頃の自分にビンタしたい」と反省の弁を口にした。松尾の仲介で中山と今田の2人は久しぶりに酒席を共にする。

若林 「今田さんはここ(『あちこちオードリー』の収録)で『今振り返ると、殿フェロではヒデさんのやり方が絶対正しかったんだ』っておっしゃってました」
中山 「そう言ってくれるのはすごくありがたい。しばらく経ってからだよね、一緒にお酒を飲んで当時の話を照らし合わせたのは。『今思うとヒデちゃんはそのとき全員のことを思ってやっていたのに、俺たちはそれを無下にしていた』とか『今、自分はそれ(中山がやっていたこと)をやっている』って言われたの、今ちゃんに。俺はすごくありがたいし」

 バラエティをポップに振り切りながら、信念のようなものさえ感じさせる中山。生き残る芸能人は、やはり伊達ではない。今回は『あちこちオードリー』きっての名作回だった気がする。

『あちこちオードリー』と『おかべろ』だけでなく、6月10日放送『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にも中山はゲスト出演し、『殿フェロ』の頃を振り返っていた。ダウンタウン史観からすると、中山の証言は傍流の視点だ。大仰に表現すると、もう1つの歴史書と呼ぶこともできる。歴史はやっぱり面白い。

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

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最終更新:2021/07/14 17:00
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