大村崑、89歳になった今も「元気ハツラツ!」 レジェンド俳優が語るテレビ、CM、映画の裏側
#映画 #インタビュー #大村崑 #ロボット修理人のAi(愛)
ひと晩の撮影で、100本近く飲んだ「オロナミンC」
ー NHK朝ドラ『おちょちゃん』のモデルにもなった大女優のしたたかな一面!
浪花さん、『番頭はんと丁稚どん』では番頭にいじめらている丁稚の僕をかばってくれる役だったのに、ひどいでしょ(笑)。僕もすねて、大塚製薬から新しいCMの話が来ても断っていたんです。それで宣伝部長が来て、専務が来て、それから副社長が来て、「誰のおかげで人気者になったと思ってるんだ。大塚製薬が一社提供している番組のおかげだろう。うちが社運を賭けた新商品のCMに出て、恩返ししたらどうや」と迫るわけです。それでも僕が意地になって断ろうとすると、横にいた僕の嫁(カンツォーネ歌手の岡村瑤子さん)は貿易会社で会計をやっていたこともあって数字に明るいんです。副社長の提示したギャラが、一桁ゼロが増えているのを見て、「CM、お受けします」と彼女が答えたんです(笑)。
ー今も一緒に「ライザップ」に通っている瑤子夫人は、大村師匠にとって人生の重要なナビゲーターでもあったんですね。そして、あの人気CMが誕生することに。
CM出演をOKして、すぐに撮影になりました。CMで着ている長袖のシャツ、黒い帽子、丸メガネ、すべて僕の自前です。CM撮影は同じカットを何度も何度も撮り直すわけです。CM監督から「メガネをズリ落として」と言われて、その時の僕は「嬉しくないから、メガネは落ちません」と返しました。それをスタッフは面白がり、「嬉しいとメガネが落ちるんですよ」という台詞が生まれたんです。「嬉しいとメガネが落ちるんですよ」というCMはすごく流行し、銀座のママは「嬉しいとズロースが落ちるんですよ」、相撲取りは「嬉しいとまわしが落ちるんですよ」といろんなギャグになって使われましたね。僕のアドリブが、 CMにはよく使われました。
ー大村師匠は、 人気CMのコピーライターでもあったわけですね。
僕は「オロナミンC」のCMに出るようになってから、メガネを2つ持ち歩くようになりました。 CMには僕の自前のメガネで出ていたんですが、CM監督にメガネのレンズを2つとも金槌で割られてしまったんです。それ以来、レンズの入っている普通のメガネとレンズの入っていない撮影用のメガネを持つようなったんです。ひと晩のCM撮影で100本近く「オロナミンC」を飲んだんじゃないかな。撮影が終わって、東京の定宿にしていた赤坂のホテルニュージャパンに戻って風呂に入ろうとすると、炭酸ガスで膨れ上がったお腹だけが浮かび、浴槽の中で危うく溺れかかったことがあります。撮影が長引くと、子役が疲れてしまい、泣き出すこともありました。当時のCM監督は泣いている子役を帰して、待機させていた別の子役を使ったりしてましたね。
ー高度経済成長時代ならではのハードなエピソードですね。CM出演はタレントにとって、メリットとデメリットの両面があると思いますが、その点はどうでしょうか?
1975年から「オロナミンC」で「プロ野球編」をやろうということになり、僕は阪神タイガースのファンだったので「阪神から始めよう」と言ったんです。「まずは巨人から始めます。でも1年間巨人をやったら、12球団を順番に回りますから」という約束だったのが、僕がCMの最後に言う「オロナミンCは小さな巨人です」というフレーズが人気になって、巨人編が9年間続くことになったんです。そのCMが流れている間、甲子園球場に2度行きましたけど、阪神側の客席にいると、阪神ファンから「崑ちゃんは、あっちや」と巨人側の客席を指されました。上岡龍太郎からはラジオで「大村崑先輩は金に釣られて、阪神を捨てた」なんてことも言われましたね。それで、すっかり巨人ファンなりました(笑)。
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