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日刊サイゾー トップ > エンタメ > テレビ  > 『関ジャム』大ヒットはAdoの表現力ありきだった?

『関ジャム』ボカロP特集なのに再認識する人間の声の素晴らしさ。「うっせぇわ」大ヒットはAdoの表現力ありきだった?

「うっせぇわ」がバズったのはAdoの表現力のおかげ

 そして2020年、「うっせぇわ」が遂に大ヒットする。この曲は、“歌い手”Adoのメジャーデビュー曲でもあった。実は歌唱法について、syudouは全くディレクションしていないそうだ。初音ミクで作った仮歌をAdoに送り、後は全てを彼女に委ねたという。

「『Adoさんがいいと思うようにやっていただければ最高のものになると思います』と信頼して投げて、返ってきたのを聴いたら予想の遥か上を行っていて。こりゃ、凄い! と」(syudou)

「調教」(ボーカロイドの歌声に細かいニュアンスを付けて生声に近付ける作業)が不得手なsyudou制作の仮歌を聴いて、とても驚いた。「うっせぇわ」の完成版とあまりにも印象が違うのだ。初音ミクのヴォーカルは棒読みに近いし、このニュアンスのままなら「うっせぇわ」は絶対に売れなかったと思う。「うっせぇわ」はAdoの解釈と表現力のおかげでバズることができたのだ。

 例えば、サビ(「うっせぇうっせぇうっせぇわ」)直前の「はぁ?」に注目したい。仮歌だとこの箇所は至って機械的だが、Adoに委ねるとヒステリックな女性の怒声に見事に仕上がった。さらに、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」を裏声にして歌うAdoの機転に感嘆する。この箇所こそプロデューサーのディレクションありきと思っていたのだ。ただ、彼女の裏声は少しパワーに欠ける。だから、直後の「あなたが思うより健康です」を地声でがなりぶちカマしてみせたのだ。それら全て、Adoは自分で計算していたということ。この制作工程について、音楽プロデューサー・本間昭光は驚きを隠せないようだ。

「これは、僕らの世代としてはとっても怖いんですよね。どう仕上がるかわからない。なのに、そこに委ねるというのは新世代ですよね。(自分は)必ずスタジオで立ち会って歌を録らないとプロデュースとは言えないという世代です。『そこのニュアンスはこうで~』みたいに現場で指示して仕上げるのが当たり前だったんですけど、自分が思う当たり前は当たり前ではなくなった。委ねて起きる化学反応がこういうヒットに繋がるという時代になったんだな……と思いました」(本間)

 かつて、『ASAYAN』(テレビ東京系)が公開していた、つんく♂のモーニング娘。への歌唱指導は毎回が見せ場だった。「あそこまで細かく歌い方を注文するのか」と驚いたものだった。しかし、syudouには逆の意味で驚く。セッションしながら曲を作るというやり方は、今や少数派なのか? と言うより、syudouが行ったのはプロデュースではなく「楽曲提供」だと認識したほうが近い。そのほうがしっくり来る。関わり方としては、プロデューサーではなく完全に作曲者のそれだ。syudouはAdoに足を向けて寝られないな……。

「Adoさんと僕は直接お会いしたことが一切なく、通話とかもしたことがなくて。DMで『誕生日おめでとう』くらいです」(syudou)

 ここまで社会現象になったのだから、会って感謝の気持ちくらい伝えればいいのに……。そして、やはり痛感した。人間には物すごいエネルギーがある。ボカロ特集を見ているのに、「人間の声のほうがいいのでは?」の思いが強くなる一方なのだ。

ボカロ曲はMVに字幕がないと聴き取れない

 バルーンこと須田景凪も「シャルル」が生まれるまでの苦悩を語ってくれた。余談だが「うっせぇわ」を聴いた後に「シャルル」を聴くと、2つの曲が似ていることに嫌でも気付いてしまう。特に、サビの「愛を謳って謳って」と「うっせぇうっせぇうっせぇわ」があまりに似すぎているのだ。もう、ほぼ同じメロディーだ。パクリではなく、きっとsyudouは「シャルル」をヒントにしたのだろう。

 また、「シャルル」や「うっせぇわ」に限らず、ボカロPの曲にはオクターブを上下させる曲が多い。昔からある手法(Focusの「Hocus Pocus」に顕著)なのだが、特に最近はよく聴く。ヴォーカルの都合を考えず無茶をするボカロPならではの傾向だろうし、だから本間のようなプロデューサーたちは脅威に感じるのかもしれない。そんな須田が曲を制作するにあたって重視するのは、ミュージックビデオだそう。

「シャルル以前、シャルル以後じゃないですけど、(シャルルは)『今のボカロっぽいMVってこういうのだよね』みたいな基礎、土台になった感じがします。こういう見せ方をするMVが増えていったなあと」(くじら)

 このタイミングで、大事なことを古田新太が須田に質問してくれた。

古田 「(曲とMVは)最初から字幕が出ることが大前提なの?」
須田 「そうですね。自分も一リスナーとして、音楽って“聴くもの”と同時に“見るもの”でもあったので、『映像』『歌詞』『音』で完成するみたいなところがあって。(音楽の)文学的なところも自分は好きだったので」
大倉 「歌詞の漢字1つでもビジュアルになるということですよね」

 そうは言うけども、ボカロの声だと歌詞が聴き取れないという理由もやはりあると思うのだ。昔から、ボカロ曲はアニメ風のイラストをFlashで繋げるMVばかりである。ちなみに、「シャルル」MVでアニメーションを担当したのはイラストレーターのアボガド6だそう。そういえば、ハチはMVのイラストも自分で手掛けていた。そう考えると米津玄師は多才だ。

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