『関ジャム』ボカロP特集なのに再認識する人間の声の素晴らしさ。「うっせぇわ」大ヒットはAdoの表現力ありきだった?
#関ジャム
7月4日の『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)は前回に引き続き、自作曲をボーカロイドに歌わせて活動する「ボカロP」特集の後半戦が放送された。
「うっせぇわ」以前は失敗の連続だった
前回は「春を告げる」を制作したくじらがボカロPになるまでの経緯を明かしたが、今回は「うっせぇわ」が話題のsyudouが波乱万丈の音楽人生を語ってくれた。音楽好きの家庭に育った彼は中学で吹奏楽部に入部、打楽器を担当することになり、ドラムをかじるようになったという。
「とにかくモテたいと、その熱量だけで。(音楽をやっていたらモテると)それだけを信じて、ずっと今日までやってきました」(syudou)
高校時代には3ピースバンドを結成したものの、バンド内の人間関係がうまくいかなかった。オリジナル曲のデモテープを聴かせても、ギターヴォーカルのメンバーから「全然ダメ」と却下の連続だったのだ。曲作りを担当するのは、あくまでそのギターヴォーカルである。
「(そのギターヴォーカルは)なんか、“星屑のなんちゃら”みたいなクソださい曲を……」(syudou)
「星屑のステージ」をヒットさせたチェッカーズなど、色々な人を傷つけながらイキるsyudou。しかし、彼は彼で憤りが沸点に達しようとしていた。曲作りに関わらせてもらえない割に、バンドでスタジオ予約を担当するのはsyudouだったのだ。
「『音楽をやりたいのになんで電話番なんだよ?』みたいになっちゃって、それでライブ当日にバックレる形でバンドを辞めて」(syudou)
武勇伝のように語っているが、社会不適合者である。また、彼の喋り方、まくし立て方が典型的なオタク特有の早口なのだ。その後、syudouはハチ(米津玄師)の影響を受け、ボカロ曲の制作を開始した。確かに、この性格なら1人でやっていったほうがいろいろと良さそう……。
syudouがバズらせようと渾身の力で投稿したのは、「ふなっしーの歌」なる楽曲だった。「知識やセンス、才能がない自分の戦い方はお笑いの一発逆転」という発想で制作したナンバーである。当時ブレイク中だったふなっしーに便乗しようという目論見もあったらしい(ちなみに、この回が放送日された7月4日は偶然にもふなっしーの誕生日)。
というわけで、「うっせぇわ」誕生から7年遡る2013年に生まれた同曲を聴いてみることに。これが、はっきり言って凡庸なのだ。レトロゲームみたいな音だし、ニコニコ動画によくありそうな質感。これでは、間違いなくバズれない。果たして「星屑のなんちゃら」とどちらがいい出来だったのだろう? 18歳でバンドをバックレ、「ふなっしーの歌」でバズろうとする無鉄砲さに震えた。
その後、syudouはレコード会社にデモテープを100曲送ったものの、そのどれもが不採用に。でも、未熟だろうとなんだろうと100曲作ったという事実だけで凄い。落とされても彼は諦めないで作り続けたのだ。「モテたい」の思いのみでここまで頑張る根性に敬服するし、反骨心溢れる「うっせぇわ」を制作しただけのことはある。世に出られないボカロPが何十万人といる中、彼は浮上することができた。言っても、「うっせぇわ」誕生までにsyudouは7年を要しているのだ。
実は、「うっせぇわ」以前にsyudouが初バズりを成し遂げた曲がある。2019年に発表した「ビターチョコデコレーション」だ。
「この曲辺りから吹っ切れて、もうモテなくてもいいやと。『自分を1回さらけ出して、ただただ作れるもので勝負してみたらどうなんだ?』というスタンスで作ったら、なぜか逆にそれがウケたんです」(syudou)
この「ビターチョコデコレーション」、聴いてみるとどこか方向性がハチっぽいのだ。syudouは米津玄師からの影響が大である。また、ある種“諦め”的な心情を歌った「ビター~」が多くの人の共感を呼んだという事実から、厨二的な歌詞がバズりやすくなるという傾向も再認識した。
「この曲を聴いて共感してくれる人が多いので、みんな人生が大変なんだろうなと感じました」(syudou)
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