欧州で人気を博した美少年・徳川昭武──「プリンス昭武」と呼ばせた幕府の事情と薩摩藩との攻防
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“美少年・昭武”人気も後押し 日本の出展は2億円を稼ぎだす大成功
さて、今回のコラム冒頭で、欧米文化に対して抵抗感が少なかった徳川慶喜の素顔についてお話しましたが、その弟・昭武は……というと、彼も最初から、当時の日本人が料理には使わなかった牛乳やバターをふんだんに使った洋食に馴染めたようです。
日本の横浜から目的地のフランス・マルセイユ到着までの48日間、昭武は何回も船を乗り換えました。“昭武さま御一行”は、みな一等船客だったといわれています。渋沢は会計係だったにもかかわらず、そういう情報は残さなかったのでよくわからない部分が多いのですが、一方で、よほど洋食に魅了されていたらしく、食事内容については事細かく書き留めています。
渋沢によると、朝7時に始まる朝食から、夜の8時~9時のイブニング・ティーの時間まで、一行は数時間おきにテーブルを囲んだそうです。渋沢はバターを塗ったパンをとりわけ美味に感じました。渋沢は(ブレッドタイプの)パンにバターをたっぷり塗りつけ、一度の食事で2~3枚も食べることが常だったそうな。
ちなみに香港で船を乗り換えた一同でしたが、このとき、短期滞在した当地のホテルの夕食のデザートとして出てきた、アイスクリームなるものが特に美味だとして評判になりました。例によって食い意地の張った渋沢は、アイスを「其味甚美なり」などと大げさに称えています。
素直な渋沢にくらべ、昭武はさすが高貴な生まれだけあり、自分の判断が他人の判断に影響することを恐れるのか、好悪の感情や、何かについて熱心に書き留めるようなことを日記の中でもしていません。
数少ない例外のひとつが、歓迎晩餐会のあとに催された舞踏会です。昭武は、西洋人の男女が抱き合ってワルツなどを踊る姿を「男女交りの舞」と表現し、「笑ふべし」と書いていたのでした。「笑える」というより、気恥ずかしく思ったのかもしれません。
昭武はフランスでも、旅行先のヨーロッパ諸国でも、当地の王侯貴族から舞踏会や観劇に招待されると出かけていますが、本当に楽しんだのは、軍事訓練や、武器を製造する工場の見学だけだったそうです。単なるミリタリー・ファンなのではなく、慶喜の期待通り、徳川家の次世代として生きようとしている昭武の努力家ぶりに頭が下がる思いです。
本心はさておき、社交もスマートにこなす昭武の姿は、フランスで、そしてヨーロッパ中で人気になりました。当時のフランスは「第二帝政」と後に呼ばれた時代です。ナポレオン・ボナパルトの甥にあたるナポレオン3世が皇帝として国のトップに立っていました。皇帝と、その妻・ウジェニー皇后は、昭武を名実ともに“プリンス”として丁寧に遇してくれましたし、昭武は彼らに慶喜からの書状を手渡し、日本とフランスの交流のきっかけをつくるという大任を果たすことができました。
パリでの万国博覧会にも、昭武たちは何度も足を運びました。最上流の武士の儀礼時の正装である衣冠(いかん)姿の美少年・昭武の人気に後押しされるように、日本=幕府の出品コーナーにも注目が集まります。
パビリオン内に造られた日本家屋の中で日本人の芸者がお酒やお茶でアテンドしてくれるコーナーが大受けしたこともあって、日本の出展は大成功を収めます。芸者コーナーだけで、6万5000フランも稼いだというのだから、素晴らしい。19世紀後半の貨幣価値の比較はとてもむずかしいのですが、1万フラン=現代の数千万円と考えられるため、2億円程度も儲けたことになります。ただ、600万ドルぶんの外債をパリで売るという勘定奉行・小栗忠順の当初の計画はまったくうまく進みませんでしたが……。
華やかな生活を送る半面、昭武一行が日本から持参した27万5000フランに相当する外貨は6~7カ月のうちに使い果たされてしまいます。しかも、小栗が話を付けていたハズの銀行家フリューリ=エラールに借金を申し出ると、“用立てできるのは3万フランのみ(しかもクレーという人物との連名で)”といわれ、一行はフランス人に不信感を抱くのでした。
その後も昭武一行は、パリに滞在中だったロシア皇帝が狙撃される事件にも遭遇するなど苦労を重ねますが、日本国内ではそれ以上に大きな嵐が吹き荒れていました。徳川慶喜の大政奉還による幕府の瓦解、明治新政府の成立、そして天皇からの帰国要請があり、昭武のヨーロッパ滞在期間は約1年半だけでした。留学生としてパリで勉学に集中できた期間はわずか約半年という短期間に終わっています。
しかし昭武、そして彼に随行した渋沢栄一らは、他では味わえない、実に濃厚な経験を当地で積むことができたと思われます。
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