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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(最終回)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 最終回】格闘界に放たれた進化する遺伝子たち

THE OUTSIDERを生み出した想い

THE OUTSIDER時代の朝倉未来

 2007年にはPRIDEが活動を停止。運営スタッフの残党はHERO’Sに合流し、新イベント「DREAM」が2008年から始動する。HERO’Sは終了し、前田もスーパーバイザーの職を離れた。

 〈 PRIDEとはいろいろあったんです。ヒクソン戦の交渉をやってるころ、リングスと俺にしょっちゅう脅迫電話がかかってきた。俺には「太田興業(当時・大阪市浪速区に本部を置いていた山口組二次団体)」を名乗ってきました。リングスにもいろんなところから脅迫電話が来て。当時、警視庁渋谷警察署に頼んで社員には駅まで警護をつけてもらってました。

 「いついつの大会をどうこうする」みたいなことを言われたこともあった。会場に警護をいっぱいつけたりとか。そんなこともしました。 〉

 前田は2008年、新たな総合格闘技イベントを発進させる。その名も「THE OUTSIDER」。「格闘技を通じ、不良少年の更生を図る」がコンセプトだ。

 リングスと同様、ここでも前田は居場所と出番を作ろうとした。オランダやロシアの格闘家から国内の不良へ。照準が変わっただけだ。

 プロではないが、アマチュアとも異なる。前田の新しいリングからは華と色をまとったファイターが巣立っていった。啓之輔、黒石高大、朝倉未来、朝倉海、金太郎、RYO、シバター。それぞれが次の居場所、出番を見つけ、今を生きている。

 〈 OUTSIDERはまたやろうと思ってるんです。

 単純に見て、日本はこれだけ少子化と言われてるのに、次代を担う若い人たちに対して、何でこんな大人たちは無責任で無関心なんだろうって。俺もはじめ、他人の子供になんてあんまり興味がなかった。でも、自分に子供ができてみると、目が行くようになりました。で、「そういえば」と思ったんです。

 オランダでも米国でも、やれムショ帰りだとか、やれ強盗やってましたとか。そんな前歴の人間が普通に格闘技の選手をやってます。日本には何でそういう文化がないんだろう。そういう人間の面倒をちゃんと見る人がいない。前科者というだけでつまはじきにされている。そんな状況を何とかしたいなと。

「格闘技のプロモーターとして、世の中に恩返しできることは何か?」

 そんなことを考えました。子供が生まれた当時、人生を振り返ってみて、「あのとき、佐山さんと出会わなくて、新日本プロレスに入ってなかったら、自分の人生どうなってるんだ?」と思ったら、どこか恐ろしいんですよ。

 まだ大阪にいたころ、妙に仲よくなった人がいました。しょっちゅう家に呼んでくれて、飯食わしてくれたり、お小遣いくれたりしてた。

「お前、学校卒業して行くところなかったら、いつでもうちに来い。面倒見てやるから」

 そんなことを言われても、「この人、土建屋みたいなことやってんのかな。そういうとこで雇ってくれんのかな」と俺は思ってた。何にも考えてなかったんです。

 あとあと考えてみれば、「ヤクザになれ」ってことじゃないですか。その後、大阪では組同士が抗争に次ぐ抗争。俺なんかあっという間にうまいこと乗せられて、懲役行くようにこすられていたでしょう。今でも刑務所に入ってるか、死んでるかですね。それを考えると、末恐ろしくなったりもする。

 そういう子たちが道を間違えないように。世の中への恩返しと言っても、格闘技のプロモーターとしてできることしかない。そんなとき、「そう言えば、『天下一武道会』(福岡県で開催されている格闘技イベント)って見に行ったな」と思いつきました。「ああいうのやればいいんかな」と思った。

 腕力は最後のプライドの砦です。そこで頑張るしかないんかなと。そういう大会をやっても面白いかなと思って、始めたのがTHE OUTSIDERです。〉

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