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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム > みやーんZZの「Radio Edit」  > 宇多丸「B-BOYイズム」誕生秘話を語り騒然!
みやーんZZの「RadioEdit」#23

宇多丸がライムスター伝説のHIPHOPアンセム「B-BOYイズム」の誕生秘話を語る!「全ての行が格言のような曲」

[入稿済]宇多丸がライムスター伝説のHIPHOPアンセム「B-BOYイズム」の誕生秘話を語り騒然!の画像1
TBSラジオ『アフター6ジャンクション』公式サイトより

 こんにちは。ラジオ書き起こし職人のみやーんZZです。いつも聞きまくっているラジオの中から興味深かったエピソードを紹介する連載の第23回目。

今回は2021年6月30日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中から宇多丸さんが28歳の頃の自身を振り返っていたトークです。

 番組水曜日のパートナー、日比麻音子アナウンサーのお誕生日を少し早めにお祝いしたこの日の放送。28歳という「第二思春期」とも言われる惑いが生じる時期について話す中で、宇多丸さん自身の頃についても紹介。

 宇多丸さんが28歳の時期はだいたい1996年から97年にかけて。95年にRHYMESTERがセカンドアルバム『EGOTOPIA』を発表。96年にはシングル『耳ヲ貸スベキ』を発表し、日本語ラップの伝説的イベント『さんぴんCAMP』に出演。そのビデオが流通することでRHYMESTERのライブパフォーマンスのすごさが地方にも徐々に広まり、地方でライブを重ねて各地のヒップホップ仲間との繋がりを構築。

 そして97年にRHYMESTERの代表曲となるヒップホップアンセム『B-BOYイズム』を発表したのでした。

「当時はまだのんびりしていて。1曲出してツアーを回って、また次の曲を作って……というペースだったんで。『B-BOYイズム』という曲は完成まで1年間、かかっているんですよ」と話す宇多丸さん。

「まず、コンセプトから作って。『B-BOYイズム』というヒップホップの精神性を凝縮して、全ての行が格言のような曲。さらにはヒップホップの精神を最も体現するBボーイ、ブレイクダンサーたちに喜んでもらえるようなものを作ろうと、最初からホームランを狙って作った曲だった」と話す宇多丸さん。

 しかし、そのような高いハードルを設定したため、楽曲の制作はなかなか進まず、結果として完成まで1年の時間を要したという『B-BOYイズム』。その1年間の中で宇多丸さんは頭の中で1行1行、少しずつ歌詞を構築。結局、一度も歌詞を紙に書くことなくレコーディングの臨み、全てのバースを録音。結果的に全ての行が格言級の歌詞が完成したのだと語ります。

 そうして出来上がった『B-BOYイズム』ですが、当時流行していた他のヒップホップ楽曲と比べて曲調が少し早かったため、完成後にもメンバー間で「遅くするべきか?」と話し合うなど、最後まで迷いながら作り上げた曲だったんだそう。「今となっては『1年かけて満を持して出した曲』みたいになっているけど、当時の俺たちからしたら『これ、できるの? 失敗したか?』みたいな感じだったから。結果オーライだっただけで。当時の俺らからしたら、もう何が何やらだったし……」と、たまたまうまくいったことを強調します。

「ビデオも最初に撮ったのがあんまりうまく行かなくて。今あるビデオは『B-BOYイズム』が出て、それなりにヘッズに浸透してヒップホップアンセムになった状態で渋谷のレコード屋に『明日、代々木公園で撮影をするから来たいやつは来い』っていうチラシを撒いて。それで人を集めて撮ったの。集まった何百人ものヘッズたちは全員、歌える状態になっていて。だからこそ、あれが撮れた。災い転じて福となすじゃないけど、最初のビデオがうまくいかなかったから、あのビデオが撮れたんだよ。だから結果オーライでしかないんだよね」とあの伝説的なミュージックビデオまで、偶然の産物であると話す宇多丸さん。

 ざまざま偶然が奇跡的に重なって誕生したヒップホップアンセム『B-BOYイズム』。今もなお色褪せないクラシックが生まれる奇跡が垣間見えた宇多丸さんのトークでした。

みやーんzz(ラジオ書き起こしサイト運営者)

2011年頃から趣味でラジオの書き起こしをスタート。記事は自身のサイト「miyearnZZ Labo」にて随時更新中。

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最終更新:2021/07/09 07:00
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