「なんでこんなに 可愛いのかよ」溺愛された『孫』の現在。8年の冷戦の後に訪れた祖父との和解
#孫 #大泉逸郎
7月5日放送『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)に“日本一有名な孫”が登場した。大泉逸郎の大ヒット曲『孫』で「なんでこんなに 可愛いのかよ」と歌われたあの孫が波乱万丈の人生を語ったのだ。
『孫』が発売されたのは22年前の1999年。通算売り上げ230万枚というダブルミリオンを達成しており、当時のオリコンチャート週間ランキングでは4位『今夜月の見える丘に』(B’z)の1つ上の3位にランクイン。
そんな歴史に残る名曲に「じいちゃん!」と可愛らしい声を吹き込んだ孫が、現在27歳になるシンタロウさんである。賀来賢人に似た今風のイケメンだ。大沢親分の孫だった大沢あかねも知名度はメジャー級だが、孫という肩書に限定して考えるとシンタロウさんこそ“日本一有名な孫”の称号にふさわしいと思う。
ちなみに、『孫』の大ヒットで大泉逸郎は建設費1億円の“孫御殿”を建設した。同曲に「じいちゃん!」の声を吹き込んだシンタロウさんは、果たして歌唱印税を受け取ったのだろうか?
『孫』と大泉逸郎の8年にわたる大ゲンカ
当時、大泉への追い風は物凄かった。山形ののどかな田園風景に突如現れた“孫御殿”が観光バスツアーのコースになるわ、「山形県 孫様」と書いただけで大泉宅にファンレターが届くわ(後者の情報は2004年1月1日放送『トリビアの泉』で紹介済み)。さらに、山形県の道徳の教科書に「家族のきずな」と題して大泉のエピソードが掲載されたほどだ。まさに、“孫バブル”!
カズ 「そこ(大泉のエピソード)から何を学ぶんですか? 孫ダシにして金稼いだ話ですか(笑)」
若林 「あるだろ、学ぶこと! お前、道徳の授業受けて来いよ」
余計な一言でツッコミを入れるゲストのカズレーザー。しかし、核心を突いている。大泉は2000年に『孫びいき』、2002年に『孫 女の子バージョン』を立て続けにリリースしているのだ。THE 虎舞竜『ロード』ばりに孫ばなれしない大泉。しかも、シンタロウさんは正真正銘の1人孫である。大泉に女の子の孫は存在しない。
悲しみのステージは続く。実は、『孫』で作詞を担当したのは大泉本人ではなく、大泉の茶飲み仲間の荒木良治だったのだ(大泉は作曲を担当)。その事実に気付いたシンタロウさんは混乱する。
「当時、10~11歳の自分には理解ができなかったところがありましたね……」(シンタロウさん)
『孫』だけではない。『孫びいき』『孫 女の子バージョン』の作詞も荒木によるものだ。
「座付き作家じゃん、もう! いつも2人でファミレスでやってるんだよ。『どうする?』って」(若林)
大泉と荒木の関係性が、若林とサトミツことどきどきキャンプ・佐藤満春のそれと妙に被る。事実、荒木の功績はとてつもなく大きい。はっきり言って、「なんでこんなに可愛いのかよ 孫という名の宝もの」という歌詞が『孫』爆売れの原動力なのだから。
ただ、シンタロウさんは歌詞そのものにも引っかかっていた。「なんでこんなに可愛いのかよ 孫という名の宝もの」という一節を読めばわかる。自分のためでなく、孫のいる世代なら誰にでも当てはまる普遍的なフレーズしかこの曲には出てこない。
「おじいちゃん、おばあちゃんだったら誰だって思いますよね」(シンタロウさん)
いや、誰もが共感できる普遍的な歌詞だから売れたのだけれど、幼き彼がそれを理解するのは難しかった。
その後、シンタロウさんは大泉と衝突する。小学生時代、学校に登校しようと急いでいたシンタロウさん。しかし、玄関を開けようにもなかなか開かなかった。庭で水を撒いていた大泉のホースが開閉の邪魔になっていたのだ。「急いでいるのに扉が開かない!」とシンタロウさんが騒ぐと、大泉は「お前が中心じゃないんだ!」と激昂。以来、祖父と孫は8年言葉を交わさなくなった。曲が全く関与しないところで勃発した不毛な冷戦。そんな緊張状態のさ中、2007年に大泉は新曲『孫も大きくなりました』をリリースする。
「もう、率直に『ふざけんなよ!』って思いました。どんだけ、私の名前を使って金を稼ぐんだと」(シンタロウさん)
8年会話していない孫でもう1発当てようとする大泉。ケンカ中でも孫シリーズの新曲を出す頑なな“ロード方式”には感心すらしてしまう。
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