「幻覚を放置すると心を壊す」負の反応も……マインドフルネスを仏教学、心理学、脳科学の研究者が共同で解明
#仏教 #マインドフルネス #心理学 #脳科学
仏教学と心理学・脳科学の接続で見えてくるもの
――論集の第4部「脳科学からのアプローチ」に収録された2つの論文では、瞑想中は脳のデフォルト・モード・ネットワークの活動が抑えられる、また、瞑想に熟達した人の脳はデフォルト・モード・ネットワークの働きが低いと書かれていました。デフォルト・モード・ネットワークは創造性やひらめきと関係があるといわれていますが、とすると瞑想がうまくなるとクリエイティビティが失われるということになってしまうのでは?
蓑輪 そのあたりはまだよくわかりませんが、理論的に考えるとそうなのかもしれません。でも、日常生活の中では戯論が起きないと困ることもありますし、新しいことを生み出すときには戯論の働きは創造性の源泉になっているはずで、一概に否定されるものではありません。瞑想は日常生活で生じる心の流れを遮るわけですから、創造性に関連する働きを遮る方向にいく可能性もあります。
ただ、現代の仏教者として著名なティグ・ナット・ハーンさんは、マインドフルネス瞑想をしっかりやることで感情の働きから離れて知恵が出てくる、実際に紛争の解決や調停に役立てられていると語られています。ですから、悩み苦しみを起こさないよう熟達した人の創造性が本当になくなるのかは、まだまだ検討の余地があるとは思います。
――なるほど、確かに感情的な反応にとらわれずに物事を見られれば、今までなかった考え方につながりそうですね。蓑輪先生は仏教に関する学際的な研究を今後どんな形で進めていきたいと考えていらっしゃいますか?
蓑輪 文献資料の上では「ひとつのことに対象を絞って集中する『止』(サマタ)の修行に慣れてから、さまざまなことに次々と、時には同時に意識を向ける『観』(ヴィパッサナー)に移行する」のがいいのか、あるいは逆でもいいのか、いろいろなやり方が書かれています。しかし、実際どう違うのか。それを例えば早稲田大学の越川房子先生は実験心理学の手法で確かめてくださる。これは臨床で役立つのみならず、仏教学にとっても非常に面白い研究だといえます。
今は専門分野がタコツボ化していますが、このように多分野で協力することによって広い視野で取り組むことができ、また、仏教学が現実社会に働きかけ、問題を解決する糸口になるとも考えています。私の学生時代から「印度哲学は実学ではない」といわれていましたし、人文系全般が今もそういわれがちです。しかし、人間に関することを正面切って深く研究しているのが人文学ですから、決してそんなことはないわけです。歴史をさかのぼると、明治が始まったときに、仏教学が扱うものは非常に幅が広かったんですよ。それがいつの間にか文献研究・思想研究に偏っていった。もちろん、そこは日本の仏教学の強みではありますが、それにとどまらずに心理学や脳科学などとも連動して、社会との接点をより強く持てればと考えています。
蓑輪顕量(みのわ・けんりょう)
1960年、千葉県生まれ。現在、東京大学人文社会系研究科教授。東京大学大学院を終了。博士(文学)。愛知学院大学文学部助教授、教授を経て、2010年4月より現職。専門は日本の仏教、仏教思想史。著書に『日本の宗教』『仏教瞑想論』『日本仏教史』(すべて春秋社)、編著に『お経で読む仏教』(朝日新聞出版)、『事典 日本の仏教』(吉川弘文館)などがある。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事