大学の経営難、科研費の偏り、教員のブラック労働……日本の教育が“おかしい”のは文科省のせいか?
教育現場が疲弊するのは誰のせい?
――教育現場を疲弊させているのは、家庭や社会の側が多くを求めすぎている、過度な期待を抱いている部分もあるのかなと思いますが、いかがですか?
青木 その通りです。国立大学についていえば、どんどん困窮しているのに「世界に伍する」研究をせよと発破をかけられています。
初等中等教育について詳しくお話しすると、文科省と学校の間だけでなく、学校と保護者とのコミュニケーションにも問題がありますよね。先生方にも家庭があるのに、保護者から携帯に電話がかかってきたら夜中であろうと対応しないといけないという無言の圧力がある。これは、保護者が変わるべき点であると同時に、校長が「そういうことはやらない」ときちんと伝えるべきことでもある。
似たような話はたくさんあります。校長が「教員の負担が大きすぎるため、部活は週3日にします」と決めようとしても、地域の方が文句を言ってきそうだからなかなか踏み出せない。つらい立場なのはわからないでもないですが、こんな校長はマネージャー失格なんです。部下である教職員の生命・健康を守れないで、なんで管理職を名乗っているんですか。しかし、学校では部下に無理をさせる「ブラック上司」のほうが評価される構造になっている。
――学校に対して、圧力をかけた側が責任もとらずに、現場に実現可能性を無視した無理を押しつける形になっていますよね。
青木 圧力と期待は紙一重なんですよ。そこをうまく整理できればいいと思います。昨今、コミュニティスクールという言葉が流行しているように、社会の側が学校に協力しようという気運は高まっているように思いますが、実際には保護者がPTAに駆り出されたりして無償労働をさせられている。新型コロナウイルス対策でPTAが消毒ボランティアをするのは美談なのか疑問です。
気になるのは、初等中等教育も大学教育も一番大事な「お金」の話が全然出てこないことです。PTAだって「ウチは共働きで行けないけど、代わりに1時間1000円出します」というようにお金で解決できることをしない。学校をめぐって、教職員、保護者、地域住民みんなコスト意識がないんでしょう。
もちろん、「大変だから外注だ」となると、すぐに教育産業が入ってきて、保護者の経済的負担が増えるという現状も一方ではあり、これはこれで問題です。とはいえ、過去にいくつかの出来事(PTAが補習をしてくれる教員に謝礼を支払い、兼業規程上問題となったことなどがある)があったがために、学校に社会からお金が流れにくくなったことをもう一度変えていく。コストを可視化し、やるべきことには誰が負担するかを議論して、必要なところにお金を投じる習慣・体制づくりをしていく必要もあります。
国立大学だって同じです。世界的な金融緩和でお金はだぶついています。あるところにはあるんです。そういうお金を大きな風で巻き上げて、大学が鷲づかみにするぐらいの気概が必要です。
青木栄一(あおき・えいいち)
1973年、千葉県生まれ。96年、東京大学教育学部卒業。2002年、東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。国立教育政策研究所教育政策・評価研究部研究員などを経て、10年より東北大学大学院教育学研究科准教授、21年より同教授。専攻は教育行政学、行政学。著書に『教育行政の政府間関係』(多賀出版)、『地方分権と教育行政 少人数学級編制の政策過程』(勁草書房)などがある。
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