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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(4)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.4】幻のヒクソン戦、奇跡のカレリン戦、そしてPRIDEとの相剋

写真=尾藤能暢

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1993年に世界の格闘技界を駆け抜けた衝撃。アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ(UFC)第1回大会は「目潰しと噛みつき、金的攻撃以外は何でもあり」のルールと、優勝を奪い取ったホイス・グレイシーの闘いぶりで注目を集めた。先行した総合格闘技団体が「バーリ・トゥード(何でもあり)」ルールへの対応を迫られる。その波は漸進的な変革を目指してきた「リングス」にも容赦なく押し寄せた。内外の他流試合でネットワークの選手が実力を証明する中、ファイター前田日明に残された時間はわずかなものとなっていく――。

髙田延彦の仇を討つ

 前田日明は1998年、引退の意向を発表。体中に宿痾を抱えていると言ってもいい状態だった。

 〈 現役のうちはね、教えられないんですよ、誰にも。どうしても、「俺も競技者だ」ってなるんで。使っている技術を教えると、自分がやられるじゃないですか。そういうもんに対して、いけないことなんだけど、抵抗があるんです。やっぱり、現役のうちって教えられない。「ちゃんと教えなきゃいけない」とも思いました。リングス全体の底上げみたいなこともやらなきゃいけなかったし。〉

 前田の引退試合の相手には当初からアレキサンダー・カレリンの名前が挙がり、交渉が進んでいた。だが、途中で予期せぬ異変が起こる。1997年10月11日、東京ドームで行われた格闘技イベント「PRIDE.1」で髙田延彦がヒクソン・グレイシーに完敗したのだ。

 〈 引退試合の相手はカレリンで進んでたんです。で、ヒクソンに髙田がやられた。その試合を俺は見に行ってました。リング上でヒクソンに「もう日本人には誰にも負けない。いつでも誰の挑戦でも受ける」みたいなことを言われて。

 髙田はもう最初から蛇に睨まれた蛙みたいになってました。蹴り一発、投げ技一発出すわけでもない。どっかを極めようとしてホールドするわけでもない。何もせずにやられちゃったんです。精神的に完全にびびった状態。すごいかっこ悪かったですね。だったら、俺が仇を討ってやろうと思った。

 ヒクソン戦の前に、髙田をリングスの道場に呼んで教えました。でも、何もできないんですよ。坂田(坂田亘、リングス・ジャパン)がちょうどヒクソンと同じくらいの体格だったから、相手にしてやらせた。「こういうのがあるよ」って教えるんだけど、何もできない。

 ヒクソン戦のあと、本人は一般マスコミの取材で「腰を痛めている」って言ってました。でも、腰なんか全然悪くなかった。

 俺はあいつが18ぐらいのときから知ってるんで。顔見たら、わかります。完全にびびってたんです。「これはまずいな」と思った。試合が終わったあと、聞きました。

 「これからどうするんだ?」

 「いや、引退するかもわからないです」

 「もったいないな」と思いました。だから、「俺が仇を取ってやるよ」って言ったんです。〉

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