新連載「イ・ランの生命を担保にする(反)社会実験」- 生きていたいとは思えないようなこの社会で 【連載0回目イ・ラン インタビュー】
#インタビュー #イ・ラン #イ・ランの(反)社会実験
韓国と日本、そして音楽・文学・映画などさまざまな表現分野を横断しながら活躍するイ・ラン。2021年4月24日本サイト掲載の「『死ぬまで食べても2500円』サイゼリヤの“多幸感”を歌う韓国のアーティスト、イ・ラン インタビュー」では、コロナ禍の外食様式を取り巻く変化と普遍的な価値について考えていった。
さて、本連載「イ・ランの生命を担保にする(反)社会実験」は、「サイゼリヤ」のインタビュー終了後、イ・ランとの何気ないやり取りのなかで「コロナ禍にできる、新しい挑戦」をするという企画の話が持ち上がったことがきっかけとなり、始動したものである。
今回は連載の“第0回目”として、この試みに込められたイ・ランの真意についてじっくりと語ってもらった。
社会から与えられる記号で人生を生きている
――本連載の「コロナ禍にできる新しい挑戦をしてみよう」という趣旨は、以前ランさんに取材させていただいた際にご発案いただいたものでしたよね。改めて、なぜこのような試みをしようと思い付かれたのでしょうか。
イ・ラン:私はもともと、日本をはじめ国外で仕事をすることが多かったのですが、去年からコロナのせいで韓国から出ることができなくなり、新しい人間や文化や場所に触れる機会も減ってしまったんです。それで、自力でインプットを作り出してみようと考えた結果、今まで自分がやったことのない体験をやってみたらいいんじゃないかと思ったんです。
――前回の「サイゼリヤ」インタビューでは、コロナの感染拡大によって人々の行動に大きな制約がかかるなか、人と外食する機会が減ったことで、ランダムな出会いや会話なども生まれにくくなったというお話をしていただきました。そういった体験を求めて自らの“コンフォートゾーン”を抜け出し、今できる範囲内で新しい世界に触れる機会を作り出そうと考えられたわけですね。
イ・ラン:そうです。コロナ時代になり、私は自分の行動範囲が狭まったと思っていたんですけど、よく考えてみたらこの行動範囲内でもやったことのない経験がたくさんあるなって。
そんなことを考えているときに、韓国のある出版社から連載をやってみないかと声がかかったので、このアイデアを提案していたんです。私という人間が何か挑戦をし、それがどういう結果に終わったかを記す「イ・ランの生命を担保にする実験」という連載タイトルの企画が進行していたのですが、残念ながら頓挫してしまって。そういったお話を前回の取材でさせてもらい、日刊サイゾーでこの連載がスタートしました。
――それにしても、なぜタイトルに“実験”という言葉を用いたのですか?
イ・ラン:それを説明するには、私の良き相談相手である、社会学の研究者をやっている友達とのやり取りについてお話しする必要があります。どんな内容だったかというと……例えば、私が26歳でミュージシャンとしてデビューした時には、インタビュー記事に“自分の話をよくする人”という趣旨の見出しを付けられることが多かったけど、その後のアルバムを出したときは“社会の話をよくする人”という見出しを付けられることが多くなった。こういうふうに私はイ・ランとしての人生を、その時々に社会から与えられる記号で生きているわけです。
私という人間が社会からどんな記号として捉えられているのか、その記号がどんな軌跡をたどって変移しているかを考えることって、社会学の一種だよねという話をしていたんです。でも、社会の目というあまりに客観的な観点から自分を考えることによって、私自身、時には苦しい思いをすることもあるので、そういう副作用もありながらイ・ランの人生を解析するという意味で、これは自分自身を使った“実験”だなと感じて。
――本連載で試みる「今までやってこなかったこと」に挑戦し、その経過と結果を観察するということも、ある意味ではランさんの人生を通じた社会実験と言えるのではないか、と。
イ・ラン:そうそう。その友人とは、私が昔、『自立生産音楽組合』というインディペンデントミュージックの組合に所属していた時に、彼女が新聞記者として取材をしに来たことがきっかけで知り合ったんです。『自立生産音楽組合』には社会学を研究したミュージシャンが何人かいたので、政治的な話をするインタビューをしてもらったんです。
――韓国ではミュージシャンの方々へ政治的な内容の取材が盛んに行われていますよね。
イ・ラン:韓国では民主化運動が起こったこともあり、ミュージシャンだけでなくいろんな人が政治について強い関心を抱いていて、オープンに話す機会が多いんです。
以前日本で行ったトークイベントで、お客さんから「日本では、芸術と政治を分離しようとする動きも大きいのですが、それについてどう思いますか?」という質問が投げかけられたことがありましたが、芸術人でも社会の中で生きて芸術活動をしているわけだから、自分がどんな社会に生きているのかということを知るのは基本だと思うので、そこを分けて考えるのはおかしいような気がしていて。何が社会的な言葉で、何が芸術的な言葉か、というのも分けられないと思うし。
――社会の中で生きている以上、誰しもが個人の人生と社会を分けては考えられないから。
イ・ラン:うん。私も、日本だとよく「社会問題についてこんなに積極的に話すアーティストがいるなんてビックリした」と言われるんですが、韓国では自分がどんな価値観を持って生きているのかをハッキリ主張することが当たり前なので、不思議な気持ちになります。私が社会問題について発言するとき、韓国では「あなたの言葉を聞いて、私も意見を言うことができた」という反応をよくもらうんだけど、日本では「さすがイ・ランさん。私にはそんなこと言えない」という反応が多くて、寂しい気持ちになるんです。なんだか、舞台の上に立っている人(芸術家)と、舞台の下に立っている人(観客)が精神的に分離されている感覚がして。
舞台って、単にパフォーマンスしている人を見やすくするために観客より高い位置に設置されているだけであって、権力的な立場を表しているわけではないでしょう。そんなふうに、芸術の仕事をしてる人とそうでない仕事をしている人を分けることはできない。誰もが社会について話すべきで、芸術と社会も分離できないと思います。
私自身、「韓国はこうで、日本はこうだ」と国を分離させて単純に考えるのはすごく嫌だし、できるだけ避けたいのだけど、とは言え両方の国で芸術活動をする身として実感する違いというのもやっぱりあって……。
――韓国と日本を往き来しながら肌で感じる、避けようのない差異というのも確かにある。
イ・ラン:以前、私が『イムジン河』という曲をカバーしたときに、ある日本の友人から「昔の戦争のこととか僕たちにはもう関係ないから、今できる楽しいことを一緒にやろうよ」と言われたのですが、その時は正直、本当にイライラして韓国へ帰りたくなってしまいました。今も存在している問題をちゃんと知ろうとせず、見えないふりしているような気がして。そんなふうに、韓国人として日本にいるとイライラすることもあるので、在日韓国・朝鮮人の人たちはどれだけつらくて悲しくて寂しい気持ちをしているんだろうとも考えました。彼らが“帰りたくなる瞬間”に直面した時は、どこに行けばいいのか……。
国というものは、ただ自分が生まれた場所だから自分個人と同一視できないものだけど、自分が生まれた場所でどんなことが起こったのかを知ることによって、自分と社会を結びつけていくことは大切でしょう。いま自分が生きている社会を、どうして知ろうとしないのかとても不思議なんです。
――今そこにある問題に蓋をして「楽しいことを一緒にやろうよ」というような姿勢。それは社会と個人が分離している現状にも大きく反映されていると思います。
イ・ラン:問題を直視するのもつらいですが、見ないふりをして問題がなくならない社会で生きるのもやっぱりつらいんですよ。どっちにしろつらいので、私は人生で完全な幸せというのはもうないと考えているけれど、同じようにつらい気持ちを抱えている人がいるのならせめて一緒に話がしたいです。
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