新連載「イ・ランの生命を担保にする(反)社会実験」- 生きていたいとは思えないようなこの社会で 【連載0回目イ・ラン インタビュー】
#インタビュー #イ・ラン #イ・ランの(反)社会実験
「生きるのは嫌です」という気持ちに向き合いながら
――ランさんは以前、「文藝」(河出書房新社)2020年夏季号「アジアの作家たちは新型コロナにどう向き合うのか」特集内で、「実は“コロスウイルス”というものが、コロナ19が現れる前からずっと存在してきたんじゃないのか。私と友人たちは以前からずっと死につづけてきたみたいだ」という文章を寄せられていましたけど、そもそもこの社会はコロナが流行する前から問題だらけだったわけですよね。
イ・ラン:そう。だからこの連載でやりたい方向性も、「コロナの世界でも、これをすれば楽しく生きていける」みたいにポジティブなものじゃ決してないんです。極端に言えば、私はもともと、つらいものと向かい合わせに生きていかねばならないこの社会で、死ねないから生きていると思っています。そして、そういった生と死が複雑に混ざりあう感覚のまま、この実験をしていきたいんです。
私のような表舞台に立つ人が「死ねないから生きている」ということを言うべきではない、という意見を今までいっぱいもらったけれど、それをやめたからといって私が「死ねないから生きている」事実は変わらないし、死にたいと思っている人も減ることはないし、人々にそう思わせている社会の問題がなくなるわけではないじゃないですか。人間は生きていくのが当然だと言うのであれば、今の社会でこんなに多くの人が死にたいと思っていることを、ただ個人の問題として片づけないで社会の問題として考えるべきですよ。そこに蓋をせず、「つらいです」「生きるのは嫌です」という気持ちにしっかり向き合ったまま、このつらい社会の中でどんな経験ができるか、それによって社会がどう見えてくるのかという実験をしたいと思っています。
――単純化するために分けて語られがちな社会と個人や芸術と政治、生と死などの混じり合った様相を捉えようとするランさんの、とても複雑で真摯な姿勢が伝わってきます。
イ・ラン:私はこれまでも、生きていきたいとは全然思えないようなこの社会で生きるという実験を毎日してきたと思っていますから。
――その感覚を、本連載のタイトルに反映させませんか。生きていきたいとは全然思えないような社会を、イ・ランの人生を通じて観察する実験だから、「イ・ランの生命を担保にする(反)社会実験」。
イ・ラン:社会実験、良いですね。そうしましょうか。
――では最後に、これから「イ・ランの生命を担保にする(反)社会実験」が本格的に始まるわけですけれど、第一回目となる次回はどんな“実験”を行う予定ですか?
イ・ラン:まずは、車の運転をしたことがない私が自動車免許を取るという“実験”について報告しようと考えています。今まさに教習所に通っている最中なんですけど、授業中に見せられる教習ビデオの内容なんかも、この社会の問題点がもろに表れててすごくつらかった。そういうお話が共有できればと思います。
◆第1回目に続く
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