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渋沢栄一と土方歳三は「友達」だったのか? 栄一と新選組の関係性を「大沢源次郎捕縛事件」の“伝えられ方の違い”から見る

当時ではかなり親しい、「キミ」と「僕」で呼び合う間柄

渋沢栄一と土方歳三は「友達」だったのか? 栄一と新選組の関係性を「大沢源次郎捕縛事件」の“伝えられ方の違い”から見るの画像2
土方歳三

 さらに、栄一の孫にあたる女性が聞き書きした「市河晴子筆記」(『渋沢栄一伝記資料』内)にも、この晩の逸話が登場します(成立時期の詳細は不明)。市河晴子いわく、「言葉を出来るだけその当時の通りにしておきたいと思つて書いた、それで祖父様もわりに念を入れて、言葉をなほして下さつた」そうです。

 この資料によると、大沢逮捕の当日に、土方が渋沢に、次のように切り出したそうですよ。

「今日貴殿(=渋沢)が大沢源治郎を糺弾に向はるゝにつき、御警護を陸軍奉行より命ぜられましたにつき、彼は中々の腕利、かつ種々戒心あるよしも耳にいたしました故、腕に覚えの有る者をすぐつて同道いたしてまゐつた故、はゞかりながら御安心下されたい、只今しのびの者を彼の宿所大徳寺へつかはしてござれば、そのたちもどるまでに捕縛の手筈を御打ち合せ申さうでござらんか」

 意訳・要約すると、「われわれはスパイを、大沢の下宿がある大徳寺に向かわせました。大沢は危険人物なので、念を入れなくていけない。その者が帰るまでに、渋沢さん、今日の手はずの打ち合わせをしましょう」。

 丁寧な言い方ですが、“幕府の一役人にすぎない渋沢が直接対峙するには、大沢は危険すぎる。新選組の言う通りにあなたは動いてはいかがか?”というメッセージが行間から読み取れる言葉です。しかし、渋沢はこう答えました。

「手筈と申す程の事は無用でござらう、拙者が出むいて御奉行の命を伝達いたすまでのこと、成程大沢方では多数の壮士を養うと云う聞き込みもござれば、万一それ等が拙者を遮る様のことでもござつたら、その者どもの始末、御手数ながらよろしく御頼み申します」

 意訳・要約すると「あくまで私が役目を仰せつかっているのだから、自分が大沢に聞き取りをし、罪を認めるのであれば逮捕もします。もし乱闘になったら、そのときは新選組の方、よろしくお願いいたします」くらいでしょうか。渋沢、あくまで強気です。

 土方の提案をハネつけた渋沢に対し、怒りをあらわにする新選組の隊士もいましたが、土方が彼らをなだめました。また、『雨夜譚』にもあったとおり、大沢がすんなりお縄を頂戴してくれたので、戦闘も避けられました。

 さらにここから先、つまり渋沢と土方の交流について語っているのが、渋沢秀雄の『渋沢栄一』という資料です。

 これによれば、土方歳三は、大沢逮捕時の渋沢の“口上”がよかったと褒めたそうです。そして、「キミはもともと武家の出かとたずねた。そこで、いや、百姓だと答えたところが、彼はひどく感心してね。とかく理論の立つ人は勇気がなく、勇気のある人は理論を無視する。キミは両方いける(渋沢秀雄『渋沢栄一』)」と言ったそうです。

 「キミ」と「僕」というのは当時ではかなり親しい関係を意味します。しかし市河晴子の記録によると、逮捕劇の前までは相手のことを「貴殿」、自分を「拙者」と、最大級の丁寧語で喋っていたことになっており、急に親しくなった印象です。ただ、土方と渋沢の会話の日時は書いていないので、土方に「キミ」と呼ばれたのは、事件当日ではなく、後日、再会したときに……という推論もできます。

 「武家の出」かどうかを土方が渋沢に聞いたのは、農民出身者である土方が、武家出身者の教養が高いことを実感していたからだと思われます。それゆえ、立派な言葉遣いで話せる渋沢の出自に興味を持ったのでしょうね。渋沢が自分と同じ百姓の生まれであると知った時、土方は渋沢に強く共感し、親しくなった可能性はあります。

渋沢と土方の友情は、京都の色街で育まれた?

 ただ、残念ながら、データベース化された渋沢の自伝の類を見る限り、土方の登場はこの大沢源次郎の捕縛の一件以外にありません。さらに栄一の子や孫も、土方との具体的な交友エピソードを引き出し得なかった事実から推測すると、「キミ」と「僕」と言い合える仲=友達、という程度の関係にすぎなかったのかもしれません。

 それでも、土方に限らず、新選組上層部が渋沢に一目を置いていた可能性は高いと筆者は見ています。なぜなら、時期や詳細は不明ながら、渋沢は新選組の隊士の誰かの恋人がらみの騒動に巻き込まれ(恐らく、渋沢が女性に手を出したという話)、彼の自宅に新選組が押しかけてきたのですが、話し合いだけで隊士たちはすんなり帰ったそうなのですね。

 ここから推測するに、土方と渋沢の友人関係は、おもに京都の色街で育まれたものではなかったか?と筆者は疑ってしまいます。新選組の隊士があっさり渋沢から手を引いたのも、「友達」である土方がウラから手助けしてくれたからでは?などと考えると、そういう交流の逸話を渋沢は絶対に語りたくないだろうし、とりわけ子や孫には詳しくは話さないでしょう。

 ちなみにこの新選組による自宅襲撃事件も、渋沢秀雄の『渋沢栄一』に、どんなことがあったか具体的には「一切不明だが」という“但し書き付き”で登場しており、土方との間柄が謎めいていることと何らかの関係はあるだろうと思われます。回想録に記されなかった事実にこそ、もっと面白い話があるのだろうな、と思ってしまいますね。

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堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 11:47
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