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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(3)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.3】群雄割拠の中、“最強の格闘技”を目指して

最強の格闘術は……

 〈逆進化は「先祖返り」と言い換えてもいい。その意味で言えば、今、一番最先端を行ってるのはサンボです。

 サンボっていろいろたどっていくと面白い。いろんな人がいろんなことを言うんだけど。実はロシア人で講道館柔道を習った人が帰国後に広めて、どんどん伝わっていってサンボになったっていう説が一番有力らしい。つまり、ブラジリアン柔術と同じようなもんなんです。同じように寝技が発達していった。

 サンボの場合は首に対する締め、手首を持って肘をコントロールしたりとかは全部禁止です。だから、手先もできないし、足先もできない。特に首への締めがないんでいろんな技術のバリエーションが増えました。

 コマンドサンボはリングスと堀米(奉文)さんが作ったんです。だいたい「コマンドサンボ」って命名したのは俺やから。

 で、ハンを第1号の選手にした。何でかっていったら、彼のような軍隊格闘技経験者を引っ張ってくるルートにしようと思ったんで。それでコマンドサンボを作った。

 それからまた独自に進化して、今はえらいことになってます。これから10年、20年の間はロシア人選手、特にコマンドサンボ経験者で総合のチャンピオンは独占されますよ。「総合的な格闘術」としての観点からだと、コマンドサンボが一番発達してます。〉

 当初、「前田の後継者にしてほしい」と望まれ登場した佐竹雅昭(正道会館)は1992年10月29日の名古屋レインボーホール大会を最後にリングスを去った。

 前述の通り、1995年のヒクソン戦以降、山本宜久がリングス内部で階段を一気に駆け上がった。前田の「リングスラストマッチ」(1998年)で相手を務めたのも山本だ。

 1996年にはUインターから田村潔司が移籍。ジャパン勢との激烈な果たし合いを次々に制し、前田に次ぐ地位を実力でもぎ取った。

 1998年に同じくUインターから入団した金原弘光は12連勝。前田引退後、田村が去ったリングスで「最後のエース」として体重差のある相手とも死闘を繰り広げた。

 前田は自身の後継者についてどう考えていたのだろうか。

〈どうなんだろう。わかんないですね、それは。「後継者」って決めるつもりもないですし。時々、時々によって勝ち負けもありますから。〉

(Vol.4に続く)

■前田日明の最新著作
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片田直久(ジャーナリスト)

1968年宮崎県日向市生まれ。出版社、編集プロダクション勤務を経て、現在はインディペンデントとして政治や医療、経済、抵抗文化などの分野で企画・取材・執筆・編集に携わる。渡世上の師は作家・大下英治。2020年よりYouTube「前田日明チャンネル」で合いの手を担当。現在、「リングス」について鋭意取材敢行中。日本ジャーナリスト協会運営委員。著書に『タモリ伝』(コア新書)。

かただなおひさ

最終更新:2021/06/25 17:29
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