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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 前田日明と「リングス」の曳航(3)
リングス旗揚げ30周年記念 短期集中連載『天涯の標』

【格闘王・前田日明と「リングス」の曳航 Vol.3】群雄割拠の中、“最強の格闘技”を目指して

日本人に立ちはだかったヒクソン・グレイシーという“幻影”

米国でカール・ゴッチの指導も向けた山本宜久と髙阪剛

 前田の指示の下、山本はロープをつかみ、フロントチョークを狙う作戦に徹した。善戦むなしく3ラウンドにチョークスリーパーで一本負け。ヒクソンのパンチで山本は眼窩骨折している。

 だが、この試合で山本は「ヒクソンを最も追い詰めた男」との称号を手にした。リングス内部での評価を上げることにも成功している。

 〈あれは勝てた試合です。山本は焦っちゃった。あいつは92年にデビューして、当時はキャリア3年目。本当に余裕がなかったんです。

 ヒクソンはフロントでのフェースロックによる締めには弱い。対処できません。それがわかった。船木のとき(2000年5月26日、東京ドームで開催された「コロシアム2000」での船木誠勝対ヒクソン戦)もあれ、ほぼ極まってたんです。でも、離してしまった。

 後でセコンドの高橋(義生)とか船木本人に「何であのとき離しちゃったの?」って聞いたら、「簡単に極まったんで、ゆっくり料理しようと思って。で、ブレイクの指示を出しました」って言ってました。

 山本戦でそのあと、「ヤバい」と思って挽回したヒクソンにもやはり実力はあります。でも、日本人選手に関して言えば、髙田(延彦)も船木もヒクソンのイメージ戦略に飲まれていた。嫌な言い方をすると、ちょっとびびってました。「何であんなのに引っかかるのかな?」と思ったけど。〉

 では、前田はなぜヒクソンの幻影に惑わされず、実像を冷静に見極められたのか。

〈ロシアをはじめいろんな国々でいろんな選手とスパーリングしているからです。〉

 リングスの「何でもあり」への挑戦はさらに続く。96年にはリングスの主催興行の中でもバーリトゥードルールの試合が組まれるようになった。

 〈でも、パウンドはなしです。欧州でも米国でも認められてなかったんで。前にも言った通り、ドールマンたちと「米国にも持っていける競技にしような」って話していましたから。〉

 リングス内のバーリトゥードルールの試合では、4戦目でグロム・ザザ(リングス・グルジア)がヒカルド・モラエス(ブラジル)を完封。玄人筋では以前から評価の高かったザザの地力に注目が集まった。

 前田は当時、「いろいろとやってきて、柔術家にはレスリングの技術が有効だということがわかった。最初からこうなると思ってましたよ。結果は最初から見えてた」と談話を残している。

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