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日刊サイゾー トップ > エンタメ  > 『大豆田』ED最終回T-Pablowのリリック分析
【短期集中連載】音楽ライターが検証する『大豆田とわ子と三人の元夫』のED評最終回

『大豆田』最終回のED曲、T-Pablowのリリックでより深くわかるラストシーンの意味「型にハマらずとも幸せであり続ける」

『大豆田』最終回のED曲、T-Pablowのリリックでより深くわかるラストシーンの意味「型にハマらずとも幸せであり続ける」の画像1
フジテレビ『大豆田とわ子と三人の元夫』公式サイトより

『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジテレビ系)のエンディング「Presence」シリーズをレビューする当連載も最終回だ。

 連載スタート前、筆者は正直ドラマ自体にそこまで興味がなかった。しかし、リリックを読み解き、想像以上に曲がドラマの内容を踏まえている事実に気がつくと、急速に物語へ引き込まれた。ストーリーにゴールがなく、テーマも明言はされない『まめ夫』において、エンディング曲の役割は自分にとって非常に大きかった。

 ドラマを見る前は、設定だけを見て「元夫らによる大豆田とわ子争奪戦コメディ」かと予想し、未婚の筆者ですら離婚の扱い方が軽すぎるのではないかと斜に構えていた。

 しかし、作品を見終えて心から思うことは、誰しもがその幸せを尺度で測れないということだ。おそらく大豆田とわ子自身も、最後まで明確な尺度を持っていない。それでも、「あたしの“好き”は……」とはにかみながら語る最終回終盤のセリフには、時代と共に多様化する愛の形の、最小公倍数を学ばせてもらえたように思う。

 ここに至るまで先行きの読めないドラマを、台本が反映された「Presence」から推測して次週に臨むという相乗効果で、あっという間に最終話を迎えてしまった。

 では、ラストを飾った「Presence Ⅴ feat. T-Pablow」を振り返りたい。

 KID FRESINO/BIM/NENE/Daichi Yamamoto、それぞれがとわ子(松たか子)、慎森(岡田将生)、鹿太郎(角田晃広)、八作(松田龍平)を迎え、それぞれの役柄の視点を思わせる曲に仕上がっていた。

 しかし、T-Pablowだけはラップパートを委ねたパートナーであり、松が演じたとわ子の視点を感じさせない。その意味でも5曲を並べると、このVだけは特別だ。また、リリックもまるで物語を遠くから眺めるかのようで、他のラッパーのようにドラマの内容への言及は皆無。では、なぜ彼のラップにエンディングテーマとして違和感がないのか。

 最終回に使用されたVのセカンドヴァースを振り返ろう。

 まず「同じ時間を過ごして/小さな事でジェンガのように崩れる関係ならいらねぇ」。

 この「同じ時間を過ごして」は、結婚生活に置き換えられる。そして過去3度の離婚には理由があるものの、今も元夫たちと日常的に接しているところから、離婚理由は深刻なものではなかったはずだ。それでも互いの自由のために、ひとりで生きていくと決めたとわ子を肯定するラインである。

 続く「未練垂らしいのも/掛けた時間と重ねた愛情/引きずるからだ」。これも元夫に対するとわ子の視点の代弁とも取れるが、筆者にはT-Pablowが、とわ子に精神的な依存すらしている元夫たち(特に鹿太郎と慎森)を、一喝しているように聞こえる。そうさせるのは彼らしい言葉使いだろう。まったくとわ子をイメージさせない。

 例えば、松が部分的にラップをする「Presence I」と比較すると、KID FRESINO自身も「待たせてるかも/一生ものの貴方を」といった女性らしい言葉使い、松に委ねる部分においては、女性が話者であるようなリリックだ。

 口調の違いで言えば、鹿太郎をテーマにしたNENEによる「Presence III」は強気で華のあるNENEのままのラップだが、鹿太郎しか知らないとわ子との出会いを具体的に盛り込んでいるので、否が応でも鹿太郎の曲だとわかる。BIMは天邪鬼なリリックから慎森をイメージさせるし、Daichi Yamamotoは声の印象が八作に近い。しかし、T-PablowはT-Pablowのままなのだ。

 そう確信するところは、特に以下の部分。

「汚れた靴でもお気に入り/自分らしく生きられたらいい/誰かにとって高級品/でもそれは俺に必要じゃない」――このドラマは汚れた靴や高級品とは無関係のストーリーをしている。しかし、T-Pablowの歌詞には頻繁に登場することから、ドラマの主題歌でも貫かれた彼のスタイルを感じる。T-Pablowのラップは、過酷な環境で生まれ育ち、そこを抜け出して成功者となった彼自身の人生を、常にテーマにしている。そのため、貧しさと豊かさの対比させる上で、彼のリリックにはきらびやかな言葉が散見される。そう、「Presence V」での彼は、普段と真逆とすら言える内容をラップしているのだ。

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