乃木坂46の「世代交代」を考える──歌舞伎界の“失敗”から学ぶ、成功のカギ「あるスターの人気は永遠ではない」
#歌舞伎 #世代交代
現在、日本のアイドル界においてトップクラスの人気を誇る乃木坂46も、変革の時期に入っている。白石麻衣をはじめグループの黎明期を支えた1期、2期生がどんどん卒業していく一方で、3期、4期の新しいメンバーたちが活躍の場を広げつつある。そんな乃木坂46は、このまま「世代交代」に成功し、アイドル界の頂点に君臨し続けるのか、それとも「世代交代」に失敗してしまうのか――?
そこで、あらゆる専門家に「世代交代」という現象について話を聞き、乃木坂46の「世代交代」を成功させるために知恵を拝借しようという本連載をスタート! 第2回目は、作家・編集者の中川右介氏に話しを聞き、“襲名”という形で親から子へ名前が受け継がれる歌舞伎から「世代交代」を考えていく。
【第1回はコチラ】乃木坂46の「世代交代」は可能か? 「生物学」から考える「もしかしたら絶滅への過程を見ているだけだけかもしれない」
歌舞伎界の“襲名”と”継承”
──そもそも歌舞伎はどのようにして誕生したのでしょうか?
中川右介氏(以下、中川):歌舞伎は1600年ごろに生まれました。ちょうどその頃、イギリスでもシェイクスピアが、イタリアでもオペラが、偶然にも同じ時期に生まれています。日本では関ヶ原の戦いが1600年なので、徳川幕府が成立する頃です。それまでも「踊り」や「歌」はありましたが、興行として成り立つようになったわけです。
──乃木坂48は今年の8月で10周年を迎えますが、歌舞伎には400年以上の歴史があるんですね。
中川:そうですが、400年の間にだいぶ変わってきています。いまの歌舞伎は明治以降につくり直されたもの。400年の歴史はありますが、維新から150年、さらに戦前と戦後でまた変化するので、75年くらいの歴史とも言えます。明治でいったん大衆向けのイメージが刷新され、戦後さらに高尚なイメージとなりました。
徳川時代は庶民の娯楽でしたが、明治以降は、大衆のための娯楽として新派が生まれ、映画やテレビも生まれたので、歌舞伎は高尚なイメージを持つことで延命したわけです。それでいて、どの時代にもスター役者がいて、その人たちが変革も担っていきました。
──現在の歌舞伎界はどのような体系で成り立っているのか教えてください。
中川:徳川時代、江戸では中村座・守田座・市村座の「三座」に出ることのできる役者と、それ以外の小さな芝居小屋にしか出られない役者とに分断されていました。現在の歌舞伎座に出ているのは、「三座」に出ていた上のほうの人たちの子孫・弟子、そのまた子孫で、明治からある日本俳優協会に所属しています。だいたい250人くらいで、この人たちが歌舞伎役者と呼ばれる人です。
歌舞伎座で主役になるのは、海老蔵の市川家や菊之助の尾上家など十家くらいの役者。それ以外はどんなにうまく、人気があっても主役にはなれません。実力主義ではなく、家柄がものをいう世界なのです。
──アイドルは個人のキャラクターを含めた実力主義なので、その点は対照的です。では、歌舞伎界の「世代交代」はどのように行われていくんでしょうか?
中川:「世代交代」とイコールではありませんが、歌舞伎界には“襲名”という制度があります。襲名は、基本的には父親が亡くなって数年後に息子がその名を継いでいきます。昔は世襲にこだわっていなかったけど、いまは大半が世襲ですね。
つまり、お父さんが長生きだと、なかなか襲名できません。襲名しなくても、若いうちから主役になる役者もいます。歌舞伎はひとりが50年も60年も現役ですから、それぞれの家で当主が交代しても、歌舞伎界全体としては30年くらいかけてゆるやかに世代交代します。
──乃木坂46は初期の頃の楽曲、例えば「走れ!Bicycle」や「ロマンスのスタート」を3、4期生の若いメンバーが受け継いでパフォーマンスをするようになっていますが、歌舞伎界ではどうでしょうか。
中川:歌舞伎界でも演目を“継承”していきます。たとえば「勧進帳」や「助六」が有名な「歌舞伎十八番」は、基本的に市川家のもの。今はもう著作権がないのでどこの家がやってもいいのですが、市川家に挨拶しに行かなくちゃなりません。シェイクスピアの演劇の名作も世代を超えて繰り返し演じられるものですが、同じ“グループ”のなかで受け継がれていくという点を踏まえると、歌舞伎とアイドルも少し似ているかもしれませんね。
「関西歌舞伎」の失敗例から考える、「世代交代」成功のためのカギ
──では、これまでの歌舞伎の歴史のなかで、「世代交代」に失敗した例はあったのでしょうか?
中川:なくなってしまう家もあるので、家ごとでは失敗した例は多くあります。大きな例としては、「関西歌舞伎」は消滅してしまいました。
戦後の1950年代までは、関西の歌舞伎は、東京とは別の劇団のようなものとして興行していました。しかし戦後に人気役者が亡くなり、その後継者の育成が間に合わずに客足が減り、公演そのものがなくなってしまったんです。残った役者は東京の歌舞伎に行ければいいほうで、廃業した人もいました。
──後継者の不在によるグループの衰退というと、アイドルグループでも起こる可能性が……。「関西歌舞伎」の歴史からアイドルグループが学べることもありそうです。
中川:あるスターの人気は永遠ではありません。数十年単位を考えてマネージメントしなければならないのに、松竹がそれを怠ったのが、関西歌舞伎消滅の原因でしょう。
つまり、同じタイプの役者だけでも飽きられるので、さまざまなタイプの役者をそろえておき、可能性を広げておく必要があったわけです。東京の歌舞伎も中村勘三郎が亡くなったとき、市川海老蔵が準備をしていてすぐに出てこられたからこそ、歌舞伎界を興行面で支えられたわけですし。人気役者にいつ何があってもいいように準備しておかないと、業界全体が沈んでいってしまうかも知れない。それはアイドルグループにも通ずることなのではないでしょうか。
──では、歌舞伎界が長く繁栄してきた理由はなんでしょう。
中川:偶然にも、20年おきくらいにその時代を象徴する新しいスター役者が生まれたからでしょう。1970年前後に玉三郎がブレイクし、90年前後に勘三郎がブレイク、そして2010年前後から海老蔵が第一線に立つ、という具合に。
伝統的な古典の演目を守りながら、常に新作も提供してきたこと、歌舞伎座の主役は無理な若手には、浅草歌舞伎などの場を与えてきたことなど、さまざまあるでしょう。
──いろんなタイプの役者を揃えておいたことをはじめ、複合的な理由があるんですね。
中川:新しい演目をどんどん取り入れていることもひとつの要因でしょう。三代目市川猿之助が1986年に現代風歌舞伎の「スーパー歌舞伎」を始めて、四代目猿之助が行った「ワンピース歌舞伎」も話題になったり。最近では、菊之助の「ナウシカ歌舞伎」もありましたね。
──先達が築いた伝統を守り続けるだけじゃなく、現役のメンバーたちが新しいことにもどんどんチャレンジしていく。アイドルグループにもそんな姿勢が求められるのかもしれません。
中川:むしろ、歌舞伎もアイドルも、演じる人、そして見る人が少しずつ入れ替わっていく。だからこそ、続いていくとも言えるんじゃないでしょうか。
(文:福永全体/A4studio)
中川右介
作家・編集者。主な著書に『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『玉三郎・勘三郎・海老蔵』(文春新書)、4 『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(朝日文庫)、『江戸川乱歩と横溝正史』『手塚治虫とトキワ荘』(集英社文庫)他
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事