ミャンマーデモ、テレビ報道だけでは見えてこないクーデターの裏構造 【ノンフィクション作家・高野秀行さんインタビュー】
#デモ #ミャンマー #高野秀行
高野さんが考える、少数民族にとってのデモの意味
「世代間ギャップ」と「軍のプライド」がクーデターの本質を理解する上で材料となる一方、今後のミャンマー情勢の“変数”として考慮すべきは「少数民族の抵抗」だと高野さんは続ける。ミャンマーの少数民族と親しくしてきた高野さんならではの視点といえるだろう。
クーデターはミャンマーのマジョリティ・ビルマ族にとっては大きな悲劇。これに変わりはない。だが視点を変えて少数民族たちの側から見れば、社会構造を変化させる「決して悪くない状況」だというのだ。というのも、少数民族はクーデター以前から弾圧や虐殺の対象になってきた。その苦しみは現在、クーデター下のミャンマー社会全体に理解されうる状況になってきた。
「最近、国軍が少数民族軍との戦いに負けているという話がそこかしこで聞こえてきます。国軍の士気が下がっているためか、ネットが使えないからか、あるいは都市部の平定に力を注いでいるため少数民族との戦いに割く余力がないのか、理由は定かではありませんが、いずれにせよ少数民族軍の勢いが増していると聞きます」(高野さん)
クーデター以前、ビルマ族と少数民族は同じエリアに住んでいても「ギクシャクした関係にあった」(高野さん)という。それが、国軍からの弾圧という痛みを共有することで住民同士が精神的に同化し、連帯が生まれているという。
「ミャンマーは連邦国家で自治州がありますが、クーデター以前は建前に過ぎなかった。ところが、今回のデモにより少数民族軍と住民の関係性が変わってきています。『自分たちの生活は自分たちで守る』という意思を持った半独立国家のような州、もしくは住人たちの連帯が生まれそうな機運が高まっています」(高野さん)
さらに、高野さんはこう続ける。
「これまでミャンマーでは軍政に反対する民主化デモが何度となく繰り返されてきました。ただ、今回のデモには大きな違いがひとつあります。SNSの存在です」
たしかに歴史を振り返れば、ミャンマーでは、1988年、2007年など、大規模な民主化デモが何度も勃発している。しかし当時は国内外に情報を伝達する手段が貧弱で、学生や僧侶など一部の人々しかデモに参加することができなかった。
「地方に住む人々は、そもそもデモが起きたことも知らない」(高野さん)ということが、決して珍しくなかったのだという。
しかし、民主的な政権への移行が始まった2011年頃から、経済開放と同時にネット社会化が一気に進んだ。そしてスマートフォンを中心としたインターネット環境の普及は、民主化デモの様相も一変させたのだ。
「今回のデモの様子は、電気もろくに通っていない辺境や少数民族エリアにまで伝わり、市民や政府職員が職務を放棄して抵抗するCDM(市民不服従運動)や反軍デモが拡散しています。
また、犠牲者がどのように軍に殺されたかという経緯だけでなく、殺された人の人となりや、生前の元気だった姿、そして葬儀の場面までSNSで共有されている。SNSが共感を増幅させる装置として機能していて、ひとりの犠牲者の死が持つ意味がより大きくなっています」(高野さん)
国軍は人々の団結を助けるネットの力に脅威を感じて、弾圧を強めている。国内の通信会社にことごとく圧力をかけ、モバイルネット回線をほぼすべて遮断。ミャンマーの若者たちは当初、タイや中国のSIMカードを使って情報発信を続けていたというが、やがてそれらも遮断され、不可能になった。
国軍がインターネットを遮断したい理由はもうひとつある。内部統制のためだ。市民から溢れる憎悪の声を聞けば、国軍兵士の士気は下がってしまう。ただし、ネットや通信手段を遮断すれば、ミャンマーの国軍兵士たちも家族や知人と連絡が取れず、こちらも士気に関わる。もちろん、国軍が国内で展開しているビジネスにも痛手である。国軍が抱えるネットに対するジレンマだ。
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